2022年(令和4年)10月24日投稿
探訪番号:14
ブログ分類:発祥の地めぐりシリーズ #2
昨日のブログでは、東京都中央区にある「電信創業之地」の記念碑を見に行ったことを書きました。
日本で初めて実用的な電信線が敷かれたのは東京と横浜の間で、今から153年前の明治2年のことでした。日本初の鉄道が、同じく東京と横浜の間で開通する3年も前のことだったんです。
日本初の電信線の、もう一方の横浜側にも記念碑があり、こちらにも行って見てきました。
【写真】横浜側の傳信機役所は、横浜裁判所内に設置されました。現在は、横浜地方検察庁の建物が建っています。
撮影日:2022年10月14日 撮影地:横浜市中区日本大通
【写真】横浜地方検察庁の建物の前に、記念碑がありました。
【写真】こちらにも、東京側と同じような由来の碑がありました。
当ブログのURLの独自ドメイン移行に備え、記事の整備をしていて、改めて日本の電信の歴史を調べていたら、鉄道と類似点が多いことがわかりました。
まず、日本初の電信も鉄道も、外国人によってもたらされました。
電信は1854年、ペリー提督が2回目の来日をした際、フィルモア大統領から幕府への献上品としてエンボッシング・モールス電信機を持参し、電信のデモンストレーションを行っています。
一方の鉄道も、1865年に長崎で、貿易商のトーマス・グラバーがミニ鉄道を敷設し人を乗せてSLのデモンストレーション走行を行った、という記録があります。
そして、明治政府主導で実用的な電信線と鉄道が敷設されるのですが、どちらも本開業の前に試験的な路線が敷設されていました。
電信は1869年9月に、横浜裁判所と横浜燈明台役所の間の約800メートルの間に電信線を敷いて官用通信の営業を開始、1870年1月に東京〜横浜間に電信線を敷いて公衆電報の営業を始めました。
一方の鉄道も、1872年6月にまず品川〜横浜間で仮営業を開始、同年10月に新橋〜横浜間で本開業しています。
さらに言うと、電信線も鉄道も最初の開業は東京〜横浜間ですが、2番目の開業は大阪〜神戸間だったんです。
というわけで、横浜側の「電信創業の地」の記念碑だけだと写真が少し物足りない感じがしたので、最初の電信線が敷かれた横浜燈明台役所の跡地も改めて見てきました。
【写真】桜木町から歩いてすぐのところに、北仲通北第一公園がありました。
撮影日:2023年11月11日 撮影地:横浜市中区北仲通
【写真】公園の中に、「灯台発祥の地」という案内板がありました。ここに燈明台局(役所)があったことが書かれていますが、電信線のことは言及がありませんでした。
【写真】北仲橋から燈明台跡地を撮りました。
【写真】本町通の反対側、横浜市役所側も燈明台役所の土地で、倉庫や工場が建てられたそうです。倉庫の基礎に使われたレンガが発掘され、保存されていました。
撮影日:2023年11月11日 撮影地:横浜市中区本町