探訪日:2023年(令和5年)6月4日(日曜日)
探訪番号:15
投稿日:2023年6月11日
ブログ分類:史跡・旧跡めぐりシリーズ #1
私は先月ついに50歳の大台に!
50歳と言って思い出される偉人といえば、伊能忠敬(いのう・ただたか)ですかね〜(*^o^*)
江戸時代に50歳を超えてから日本国中を歩いて実地測量し、現代のものとほとんど違わない、精巧な日本地図を作成した、ということでお馴染みですよね〜。
上総国(今の千葉県)の名家に生まれた伊能忠敬は、17歳の時に下総国佐原(今の千葉県香取市)の伊能家に婿養子として入り当主となります。
伊能家は、酒造や醤油の醸造、貸金業などを営み、佐原でも有力な豪商でした。
忠敬も商才を発揮して莫大な資産を築く一方、大飢饉のときに農民に米や金銭を分け与えるなど慈善活動も行い、地元の名主としての地位を確立しますが、49歳で長男に家督を譲り、隠居します。
そして、なんと50歳で天文学を学びたいと江戸・深川に移り住んで、19歳年下の幕府天文方の天文学者、高橋至時(たかはし・よしとき)に弟子入りするのです。
実地測量を始めたのは55歳。その後、足掛け17年、10回の測量で日本国中を歩いたのです。
測量に出かける前には、深川の居宅近くにある富岡八幡宮に必ずお参りしていて、第一次測量に出かけた日の朝も参拝したそうです。
そんなわけで、私も富岡八幡宮にお参りに行きました。
【写真】富岡八幡宮の立派な大鳥居です。この日は骨董市も開かれていてたくさんのお客さんがいらしていました。外国人の方もたくさんいらして、世界的パンデミックの終焉を実感しました。
【写真】大鳥居をくぐり左手に、伊能忠敬の銅像がありました。力強い一歩です。右手に持っているのは、杖型のコンパスです。
【写真】第一次測量に出かけたのは旧暦の寛政12年閏4月19日で、現代の暦だと西暦1800年6月11日となります。つまり、本日で223周年となりますね。
【写真】お顔のアップです。信念を持った、意志の強そうな顔立ちです。
【写真】223年前の忠敬と同じく、私もお参りしました。
さすがに忠敬のような偉業は成し遂げられそうにはありませんが、少しでも忠敬にあやかって、常に新しい人生を積み重ねていきたいと思います。
富岡八幡宮から徒歩10分くらいのところの葛西橋通りに伊能忠敬住居跡地がありました。現在はビルが立ち並び、面影はなく、歩道に石柱が立っているのみでした。