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モース博士 生誕185年!大森貝塚遺跡庭園に行きました!

探訪日:2023年(令和5年)6月17日(土曜日)

探訪番号:17

投稿日:2023年6月18日

ブログ分類:史跡・旧跡めぐりシリーズ #2

今日6月18日は、教科書でもおなじみのモース博士(エドワード・シルベスタ・モース)の生誕日です。

モース博士は、明治時代に東京の大森で縄文時代の貝塚跡を発見し、日本初の発掘調査が行い、日本の考古学が発展するきっかけを作った人物です。

動物学の研究で来日し、貝塚を発見

1838年、アメリカのメイン州ポートランドで生まれたモース博士は、21歳の時に、アメリカ動物学の父と言われるルイ・アガシーの助手となり、動物学の研究者となります。

そして、腕足類という動物の研究をしていた時、日本に腕足類がたくさんいると聞いて、明治10年(1877年)6月に来日しました。

来日の際、横浜から新橋まで汽車で移動中、大森のあたりで貝が堆積している場所を車窓から発見します。貝塚発掘の経験のあったモース博士は、ここが、貝塚(大昔の人が食べた貝殻などを捨て、堆積したもの)であると見抜き、それから3ヶ月後に本格的な発掘調査を開始しました。

この調査は、日本で初めての科学的な調査であり、発掘調査報告書もまとめられたため、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と言われています。

2つの貝塚跡地

ところで、モース博士が汽車から発見した貝塚の場所はどこだったのか?実は二つの説があり、長年議論されてきました。

大田区山王1丁目には「大森貝墟」、品川区大井6丁目には「大森貝塚」と書かれた石碑があり、どちらも昭和初期に建てられたものです。

ところが、モース博士が発掘調査をして以降、なんと本格的な調査は昭和59年まで行われず、二つの記念碑が建てられたころには、発掘調査に関わった人たちでさえ、発掘した場所がわからなくなってしまったそうなんです。

二つの記念碑はわずか300メートルくらいの距離ですが、地形的には分断されています。お互い区が違うということもあり、よくありがちな「こっちが本家」論争があったみたいなんです。

しかし、昭和52年に、当時の東京府が発掘場所の地主に発掘補償金を支払った、と書かれた文書が発見され、その場所が現在の品川区大井6丁目に当たることがわかり、品川区側がモース博士が発掘した場所だと裏付けられたのです。

ただし、貝塚は広範囲にわたっていて、大田区側の場所もモース博士の報告書には言及されているそうです。

また、貝塚跡が品川区大井にあるのになんで「大森貝塚」と呼ばれているかというと、モース博士は大森駅(当時は大森停車場)から線路沿いを歩いて発掘場所に向かったからなんだそうです。

というわけで、二つの石碑を見に行ってきました!

【写真】JR京浜東北線の大森駅です。146年前のモース博士もここから発掘調査に向かったんですね。

撮影地:東京都大田区大森北

【写真】ホームには「日本考古学発祥の地」のモニュメントがありました。

撮影地:東京都大田区大森北(大森駅ホーム)
撮影地:東京都大田区大森北(大森駅ホーム)

品川区側の貝塚跡地を見に行きました

まず、品川区側の「大森貝塚」の石碑を見に行きました。

【写真】大森駅から歩いて10分くらいのところに、「品川区立大森貝塚遺跡庭園」という公園があり、その中に石碑があります。

撮影地:東京都品川区大井
撮影地:東京都品川区大井

【写真】庭園の中央には「縄文の広場」がありました。周囲の壁は、縄文土器と地層をイメージした回廊になっています。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

【写真】写真を撮っていたら、突然噴水のようなものが湧き、びっくりしました。案内板によると、約30分ごとに霧を発生させ、時間を超越した幻想的な空間を演出しているそうです。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

【写真】モース博士の銅像がありました。「いい仕事してますね〜」って感じで、縄文土器を眺めています。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

【写真】モース博士の生まれ故郷、ポートランド市と品川区は、姉妹都市になっているそうです。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

【写真】このくぼみは、実際に貝塚が発掘された場所だそうです。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

モース博士が貝塚を発見できたわけ

前述の通り、モース博士は汽車の車窓からたまたま貝塚跡を発見しました。

当時は汽車のスピードも速くないし、周りに建物もなかったから、貝塚も目立ってよく見えたのだと思います。でも、モース博士が動物学の研究者でなく、貝塚発掘の経験もなく、知的好奇心もない人なら、たぶんスルーしていたでしょうね〜。

日本で最初に鉄道が敷かれたのが、新橋と横浜の間で明治5年のことです。モース博士はその5年後に汽車の中から貝塚跡を発見するのですが、なんと、貝塚がむき出しになっていたのは、鉄道を敷設するために、土地を掘削したからなのです。

つまり、鉄道工事に関わった人も、また、それまでに汽車から車窓を眺めた人も、その辺を歩いた人も、何千、何万という人が貝塚を見ていたはずなのに、誰一人として、それが考古学上重要なものだとはわからなかったのです。

同じものを見ていても、知識がない人や、興味・関心のない人には、見えていないのと同じ、という好例だと思います。

発見や発明というのは、誰にでも偶然に天から降ってくるものではなく、普段からアンテナを張って、いろいろな知識を身につけ、いろんなことを深く考え、いろんなことに興味・関心を持っている人に降ってくるのだと思います。

私は50歳になってしまいましたが、これからもいろんなことに興味・関心を持って、幅広い視野を持っていきたいと思っています。

【写真】庭園の奥の方、線路際に降りていくと、石碑がありました。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

【写真】立派な石碑です。昭和4年の建立です。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

【写真】線路のすぐ脇が崖のようになっていました。こんな感じでモース博士も車窓から見ていたのでしょうかね〜。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

【写真】庭園内にあるトイレも、縄文土器を模したデザインになっていました。

撮影地:東京都品川区大井(大森貝塚遺跡庭園内)

もう一つの石碑、「大森貝墟」は明日のブログで!