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日本初のプロ野球チーム同士の対戦から100周年!芝浦球場跡地に行ってきました!

探訪日:2023年(令和5年)6月17日(土曜日)

探訪番号:19

投稿日:2023年6月21日

ブログ分類:跡地めぐりシリーズ #3

今日6月21日は日本で初めてプロ野球チーム同士の試合が行われて、ちょうど100年の日です。

と聞いて、多くの方は「初のプロ野球の試合?巨人?阪神?」と思われたと思います。

実は、日本初のプロ野球チーム同士の試合は1923年(大正12年)に行われた、日本運動協会 vs 天勝(てんかつ)野球団の一戦なんです。

これを聞いて、さらに「???」となった方も多いかと思います。日本初のプロ野球チームはジャイアンツじゃないの?日本運動協会ってチーム名?天勝野球団ってプロ球団?って感じで。

現存するプロ野球チームで最古なのは、読売ジャイアンツで間違いなく、発足は1934年(昭和9年)です。

しかし、それより14年も前の1920年(大正9年)に、早稲田大学野球部 OBの河野安通志、押川清、橋戸信が中心となって、日本運動協会というプロ野球チームが結成されていたんです。

専用球場を持つ日本初のプロ野球チーム

公益法人のような名称ですが、合資会社(その後株式会社に改組)で、「芝浦球場」という専用球場を持ち、入場料を取って野球の試合を見せていて、形態としても完全なプロのチームだったのです。

また、当時は世間から低くみられていたプロ野球に対するイメージを高めるため、大卒サラリーマンに匹敵する給料が選手に支払われたほか、合宿制で、野球の練習に加えて英語や数学、簿記などの学習を義務付け、人格形成のための教育も実施されたそうです。

しかし、発足当時は他にプロ野球チームはありませんので、学生野球や社会人野球のチームと対戦していましたが、1921年(大正10年)に結成された2番目のプロ野球チーム、天勝野球団と、1923年(大正12年)6月21日に、当時、日本の統治下にあった朝鮮半島の京城(現在の韓国・ソウル)の竜山満鉄グラウンドで初めて対戦した、というわけだったんです。

その後、芝浦球場は1923年9月に発生した関東大震災の救援物資の集積場として陸軍司令部に接収され、復興後も返還されることはなかったため、日本運動協会はチームの存続は困難として残念ながら解散してしまったそうなんです。

さすがに時間的に、また家計的にソウルへの旅行はできませんでしたので、日本運動協会の本拠地だった芝浦球場の跡地を見てきました!

【写真】ゆりかもめ・芝浦ふ頭駅近くに、港区立埠頭少年野球場があります。

撮影地:東京都港区海岸

【写真】少年野球場とはいえ、グラウンドは全面人工芝で、ブルペン(ピッチャーが投球練習する場所)も完備されている、かなり本格的な野球場です。

撮影地:東京都港区海岸
撮影地:東京都港区海岸

【写真】野球場の脇に「芝浦球場 跡地」の看板が立っていました。日本運動協会のことも書いてありますね。

撮影地:東京都港区海岸

【写真】少年野球場ながらスタンドもあり、看板の横からスタンドに向かう階段もあります。私が行った日は、グラウンドでは少年野球チームが練習していましたが、スタンドへの階段は立ち入り禁止の鎖がかかっていました。

撮影地:東京都港区海岸

【写真】実は2016年12月にも訪れていて、その時は試合も行われていてスタンドに入ることもできました。

撮影地:東京都港区海岸
撮影地:東京都港区海岸

芝浦球場の跡地に行ってみました

さて、ここまで埠頭少年野球場のご紹介をしてきましたが、実は厳密にはここが芝浦球場の跡地ではないんです。

前述の案内看板にも、「この埠頭公園付近に「芝浦球場」が建設されました」と書いてありました。

それで、野球殿堂博物館のTwitterの2020年のツイートに、芝浦球場の当時の地図と現在の地図を重ねたものがありました。

この地図によれば、現在の海岸3丁目の18番地と23番地の4ブロックがそのまま芝浦球場の敷地(地図では「運動協會運動場」と書いてあります)と一致しています。

【写真】中央の道路の両側のブロックから4ブロックが芝浦球場があった場所です。埠頭少年野球場からは徒歩1分ほどの距離。かなり広い敷地です。

現在は倉庫街になっていますが、当時は海を臨むロケーションだったんでしょうね。今で言えば、さしずめZOZOマリンスタジアム(千葉市)って感じですかね〜(*^o^*)

撮影地:東京都港区海岸