探訪日:2023年(令和5年)6月4日(日曜日)
探訪番号:21
投稿日:2023年6月30日
ブログ分類:庭園・植物園シリーズ #2
現在放送中のNHK連続ドラマ小説(朝ドラ)の『らんまん』。我が国における植物分類学の父と言われる牧野富太郎博士の生涯をモデルとしたドラマです。
以前より牧野博士のことは知っていましたが、朝ドラのモデルとしてはどうなのかな、と思って見始めましたところ、予想に反し(?)かなり面白いです。視聴率も上り調子とのこと。
文久2年(1862年)に土佐国(今の高知県)で生まれた牧野博士は、小学校中退ながら独学で植物学の研究をし、東京帝国大学(今の東京大学)の助手にまでなり、生涯で発見・命名した植物は1500種類以上にものぼるそうです。
植物学者としての実績は十分だと思いますが、やはり学歴が無い、ということで大学内でもいろいろな軋轢があったみたいで、結局は助手止まり。
当ブログでも先日紹介した、大森貝塚を発見したモース博士も大学に進学はしていませんが、30代でアメリカのボウデン大学の教授になっています。
でも、牧野博士と同じく大学には進学しなかったものの、独学で魚類の研究を続けてきたさかなクンは、国立大学(東京海洋大学)の客員教授になっていますから、「象牙の塔」などと言われ、とかく閉鎖的・排他的と言われる日本の大学も変わってきたんでしょうかね〜。
むろん、牧野博士自身は、理学博士の学位も受け、文化功労者にもなり、学士院会員、名誉都民にもなっていて、社会からは受け入れられていましたし、生涯植物学の研究に情熱を傾けられたのですから、大学教授の地位などは不要だったかもしれませんね。
話がそれました。それで、東京で植物学の研究をしていた牧野博士は、大正15年(1926年)にそれまで住んでいた渋谷の道玄坂から、北豊島郡大泉村(現在の東京都練馬区)に移り住みます。
これはなんと、関東大震災を経験し、この先も牧野博士が収集した膨大な植物学の資料や標本が焼失してしまうことがあるんじゃないか、と心配した妻の壽衛(すえ)さんが、大泉村の土地を買ったんだそうです。
家父長的な家族関係が否定される現代にあって「内助の功」や「糟糠の妻」などというのを称賛するのは古めかしい考えかもしれませんが、壽衛さんのサポート力・アシスト力はすごいものがありますよね〜。
そんなわけで、牧野博士は約30年間、大泉村(その後東京市に編入、戦後は練馬区となる)で過ごし、昭和32年(1957年)、94歳で生涯を閉じました。
その翌年、練馬区は牧野博士の居宅と庭を整備し、牧野記念庭園として開園、現在に至っています。
【写真】西武池袋線の大泉学園駅(南口)駅前に大きな看板がありました!
【写真】こちらの看板には、牧野博士のお茶目なスナップショットも!
【写真】庭園の入り口です。駅から徒歩5分ほどの距離です。門はありますが、なんと入場は無料。
私は、こういう施設は、維持管理の観点から100円でも200円でも有料にした方がいい、と思っているのですが、私が行った日は日曜日ということもあり、小・中学生や高校生くらいの若い男女もたくさん来園していて意外でした。
やはり、無料で気軽に行ける、というのも大事なのかな、とそんな感想も持ちました。
【写真】門をくぐると立派な管理室と講習室がありました。
【写真】個人の邸宅跡とは思えない、広い敷地にたくさんの植物がありました。
【写真】牧野博士のパネルと朝ドラののぼりもありました。
【写真】牧野博士の銅像もありました(ちょっと写真とは雰囲気が違いますね(^。^))。
銅像の周りにびっしり生えているのは、「スエコザサ」という植物。これは昭和2年に牧野博士が仙台で発見した新種の植物で、なんと、壽衛さんへの感謝と愛情をこめて命名したそうです。
なお、壽衛さんは昭和3年に54歳で亡くなっています。
【写真】庭園の奥には、書屋展示室がありました。
【写真】鞘堂方式で、内部に博士の書斎と書庫の一部が保存展示されています。
【写真】実は私は、こうした「建物イン建物」を見るのが、ものすごく好きなんです(*^o^*)
【写真】ものすごい大量の書物!
書屋展示室の隣には、記念館というカッコいい建物がありました。中は常設展示室と企画展示室に分かれていました。
【写真】企画展示室では、「企画展 牧野富太郎 草木とともに」が10月9日まで開催中です。
【写真】企画展示室は写真撮影不可でしたが、常設展示室は撮影できました。博士が愛用した道具などが展示されていました。
【写真】その中で、面白い印がありました。ぐるぐるの渦巻きの印面の印です。
これは、「の」という字が巻いている→巻いている「の」→つまり「牧野」を表しているそうです(^o^)
【写真】園内の植物ごとに、植物の名前と解説が見られるQRコードが書かれた看板がありましたが、博士が植栽した植物には、「まきの」マークもついてました。