探訪日:2023年(令和5年)8月20日(日曜日)
探訪番号:33
投稿日:2023年9月5日
ブログ分類:史跡・旧跡めぐりシリーズ #5
前回のブログでは、東京都墨田区の都立横網町公園内にある、東京都慰霊堂に行ったことを書きました。
公園内には、東京都復興記念館という、博物館のような施設もありましたので、行ってきました。
【写真】立派な構えの東京都復興記念館の外観です。入場無料です。
【写真】建物の前には、震災時の火災で溶けてグニャッとなってしまったビルの鉄柱が展示されていました。
東京都復興記念館は、関東大震災の被害や惨状、震災後の復興事業を後世に伝えるために建てられました。
当初、震災の記念品は震災記念堂(のちの東京都慰霊堂)に展示する予定でしたが、1929年(昭和4年)に開催された帝都復興展覧会の展示品や市民からの多くの寄贈品など資料が膨大になったため、別に施設が建設されることになったのです。
その施設は「復興記念館」と銘打ち、1931年(昭和6年)4月17日に竣工、8月18日に開館しました。
前回のブログでも書いたように、本所・深川地域では昭和20年にアメリカ軍による大規模空襲を受け、戦後、戦災関連の展示も併せて行われ、「東京都復興記念館」と改称され現在に至っています。
【写真】展示内容も興味深いものばかりですが、建物自体も90年以上前のものですから、鑑賞価値があります。「口出」と右から書いてあるのがいいですね。
【写真】昔の映画に出てくる会社のような雰囲気がありました。
【写真】2階には、帝都復興展覧会で展示されたジオラマなどが展示されていました。
1階には、関東大震災の生々しい被災品がたくさん展示されていました。
【写真】壁面には、震災の概要のパネルや、被災の様子を撮影した写真が飾られていました。
【写真】火災の火で溶けた看板や自転車なども展示されていました。いまだに焦げた鉄のような匂いがしました。
地球上で発生する地震の7割が、なんと日本列島近辺で起きています。
今後も巨大地震が発生することは確実で、東海地方から九州南部にかけて発生すると予測される南海トラフ地震はこの先30年の間に7〜8割の確率で起こるとされ、政府は死者が23万人にものぼる、と予測しています。
首都直下型地震はこの先30年で7割の確率で発生すると言われ、死者は2万人以上になると予測されています。
前回のブログでも書いたように、関東大震災の死者のうち9割が焼死でした。
1995年に発生した阪神・淡路大震災では、大都市圏で早朝に発生した地震で就寝中の人も多く、建物の崩壊や倒れた家具の下敷きになるなど、死者の7割が圧死でした。
そして、2011年に発生した東日本大震災では、死者の9割が津波に飲み込まれて亡くなっています。
現在の日本は、燃えにくい建材の開発や調理器具や暖房機器の安全性の向上、住民の防災意識の高まりで、大地震が発生しても関東大震災のような大火は発生しなくなりました。
そして、耐震設計の建物が増えたり、耐震補強をする建物が増えた結果、関東大震災や阪神・淡路大震災に比べ、東日本大震災では地震による建物崩壊の被害は減りました。
こうしてみると、日本は大きな地震が発生するたびに、社会全体の地震に対する耐性が高まっているのではないか、と思っています。
ということは、次の大地震では東日本大震災の教訓を生かし、特に津波に対する防災意識を高めれば、震災の死者は予測よりは相当抑えられるのではないか、と素人考えですが、思ってしまいます。
東京都復興記念館に、関東大震災で世界各国から寄せられた義捐金のグラフが書かれたポスターが貼ってありました。
義捐金と義捐品換算額を併せた金額でダントツなのはアメリカで、約3000万円。100年前の3000万円ですから、それは大変な額です。2位のイギリスが約580万円ですから、アメリカが突出してます。
地震の報告を受けた当時のクーリッジ大統領は「第一に日本を救え」との命令を出し、全米各地では募金活動が展開され、アメリカは人的、物的に最大の支援国となりました。
それなのに、その後たった20年足らずで、アメリカと戦争を始めてしまうのですから、国と国の関係というのは、ちょっとしたことで180度変わってしまう、難しいもんなんだな、と感じました。
【写真】横網町公園の近くには、同愛記念病院という総合病院があります。この病院はなんと、関東大震災でアメリカから送られた義捐金の一部を使って造られた病院なんです。