探訪日:2023年(令和5年)9月17日(日曜日)
探訪番号:37
投稿日:2023年9月25日
ブログ分類:パワースポットめぐりシリーズ #5
突然ですが、2001年4月まで、埼玉県の県庁所在地は何市だったか覚えていらっしゃいますか?
正解は「浦和市」です。でも、私の記憶では、当時は「大宮市」と答える人も多かったと思います。
両市は与野市とともに2001年5月1日に合併するまで長らくライバル都市として存在していました。
旧・大宮市は東北新幹線と上越新幹線が分岐する一大ターミナル駅を有し、商業施設も多かったので、大宮市が県庁所在地だと勘違いする人も多かったのだと思います。
旧・大宮市は氷川神社の鳥居前町として発展しました。「大宮」の地名も、氷川神社が「大いなる宮居」と称えられたことからつけられたそうです。
氷川神社の創建はなんと約2500年前で、聖武天皇の代には武蔵国一宮と定められ、明治になると、明治天皇から武蔵国鎮守勅祭の勅書を賜り、官幣大社となりました。
一宮も官幣大社も、神社の格式としては最も高いものです。また、関東地方を中心に、全国約280社ある氷川神社の総本社となっています。
参道はなんと約2kmもあり、全国で一番長い参道とも言われています。
参道には一の鳥居から三の鳥居までありますので、歩いてくぐってきました!
【写真】一の鳥居はJR京浜東北線のさいたま新都心駅の近く、旧中山道(県道164号線)から分岐する狭い道路の入り口にありました。
【写真】分岐している地点には、「武蔵國一宮」と彫られた立派な石碑もありました。
【写真】参道は歩車併用道路となっていました。旧中山道から大宮市街地を抜ける道となっていますので、割と交通量がありました。自動車も鳥居をくぐって行きます。
【写真】ネットの情報ですと、今年2月から5月まで工事のため道路が封鎖されていたようです。鳥居の柱のところには、5月に改修竣工したことが書かれており、新しくてキレイな鳥居でした。
【写真】鳥居の先は、まっすぐのケヤキ並木が続きます。
【写真】参道の途中で、歩行者専用道になる区間もありました。
【写真】一の鳥居から約1.5kmのところに、ようやく二の鳥居がありました。
【写真】三の鳥居です。二の鳥居から500メートルくらいで、一の鳥居から二の鳥居までの長さに比べると、すぐの感じがありました。
【写真】三の鳥居をくぐると、広々として清々とした境内が広がりました。
【写真】石畳の道が少し左にカーブした先に、神池にかかるステキな橋がありました。
【写真】橋の先には立派な楼門がありました。
【写真】楼門をくぐると、格式を感じさせる、堂々とした拝殿がありました。たくさんの方がお参りにいらしていました!