探訪日:2023年(令和5年)9月17日(日曜日)
探訪番号:38
投稿日:2023年9月29日
ブログ分類:パワースポットめぐりシリーズ #6
今日9月29日は中秋の名月です。
中秋の名月とは、旧暦の8月15日の夜(十五夜)に出る月のことです。
十五夜に出る月が一番美しいとされ、ススキやお団子をお供えして、月を愛でる風習があります。この風習は、平安時代に中国から伝わった、と言われています。
ところで、十五夜の月は美しい満月というイメージがありますが、厳密にいうと、年によっては、十五夜と満月の日はずれることがあるんです。
旧暦は月の満ち欠けによって日付が決められ、新月から次の新月までを1ヶ月、とします。この期間がちょうど30日間なら、半分の15日は満月の日になるはずですが、天文現象は人間の思惑通りにはなりません。
実は、新月から次の新月までの期間は、約29.5日間で、しかも月が地球の周りを一周するスピードは一定ではないので、その期間も前後してしまうのです。
だから、旧暦8月15日でも、満月の日はその前後にずれることがある、というわけなんです。
でも、今日の十五夜は満月の日と重なります!ところが、次に十五夜と満月の日が重なるのは、なんと2030年だそうです。
満月を眺めると、灰色っぽい模様が見えますよね〜。これは月のマグマが吹き出したところで、鉄を含む玄武岩という岩石が固まっているため、黒っぽく見えるんです。
月も地球と同じく自転していますが、地球の周りを公転するスピードと全く同じため、地球上のどこで満月を見ても、常に同じ面の模様が見えています。
ところが、月の模様が何に見えるかは、国によって違うみたいです。
日本ではおなじみ、ウサギがお餅をついているように見えていますが、中国ではウサギは同じでも、ついているのは薬草だそうです。
そして、ヨーロッパではカニや長い髪の女の人、中東では吠えているライオンに見えているそうです。
前回のブログでは、さいたま市大宮区にある氷川神社というところにお参りしたことを書きました。
この神社は「大宮」の地名の由来になったほど、さいたま市を代表する神社であるばかりか、武蔵国一宮であり、全国に280もある氷川神社の総本社でもありました。
さいたま市は2001年5月に浦和市、大宮市、与野市が合併して誕生しましたが、浦和と大宮はお互いライバル都市としてしのぎを削ってきました。
浦和地域で代表する神社といえば、調神社でしょう。読み方は「つきじんじゃ」で、地元では「つきのみや」とも呼ばれ親しまれています。
この神社、一般的な神社では必ずあるものが無いんです。なんでしょうか?
【写真】調神社の入り口です。JR浦和駅西口から歩いて10分くらいのところにありました。この写真にも、ヒントが映ってますよ(^o^)
なんとこの神社には、鳥居や狛犬がないんです!
調神社の歴史はものすごく古く、今から2000年も前に創建されたと言われています。「調(つき)」とは、古代の税や貢ぎ物のこと。そうです、日本史の教科書にも出てくる「租・庸・調」の「調」です。伊勢神宮に奉納するための初穂の倉庫群のなかに神社が造られたため、この名前がついたそうです。
それで、貢ぎ物の運搬に邪魔になるからと、鳥居が造られなかったそうなんです。
また、中世になると「つき」の名が「月」に通じるということで、月待信仰と結びついたそうです。月待信仰とは、月を神秘なものだと捉え、月の出る夜に神事を行う信仰のことなんです。
月待信仰では、兎(ウサギ)が神の使いとされたため、この神社も狛犬の代わりに、ウサギの像が置かれるようになったそうなんです。
さらに、「ツキがツキを呼ぶ」ということから、必勝祈願のご利益もあるとのことで、Jリーグの浦和レッズの選手の皆さんも毎年必勝祈願に訪れているそうですよ。
【写真】神社の入り口の両脇で参拝客を見守るウサギの像です。子ウサギの頭をナデナデしてますね。
【写真】鳥居の代わりに、参道には2本の石柱に縄が張られていました。前回紹介した氷川神社は日本一とも言われる2kmにも及ぶ参道に3つも鳥居がありましたが、対照的です。
【写真】なんとビックリ!手水舎の水も、ウサギの口から出てました(^_^;)
【写真】拝殿の前にも鳥居はなく、木の間に竹竿が掛けられていました。
【写真】古風で堂々とした拝殿です。
【写真】拝殿の奥にステキな池もありました。
【写真】池の中央にある噴水も、ウサギの口から吹き出していました!
【写真】ウサギが書かれた大きな絵馬もありました。そういえば、今年は卯年でした。この絵馬の絵は卯年用なんでしょうか。それとも毎年ウサギの絵なのかな?