現地に行っていろいろなものを見てくるフィールドワーク系ブログ

上野公園には西郷さんより大きなお顔の方が!合格祈願の御利益ありです!

探訪日:2023年(令和5年)10月14日(土曜日)

探訪番号:42

投稿日:2023年10月21日

ブログ分類:大仏めぐりシリーズ #1

前回のブログでは、東京・上野公園の西郷隆盛像を見に行ったことを書きました。

西郷さんの像は、恰幅がよく、丸くて大きな頭で、私は親近感を感じていました。

やっぱり西郷さんは大きいな〜、と思っていたら、なんと、上野公園内には西郷さんよりも大きなお顔の方がいらっしゃったんです!

それが「上野大仏」です(^o^)

地方にお住まいの方はもちろん、東京にお住まいの方も、「上野に大仏なんてあった〜?」って思われる方は多いと思います。

それもそのはず、この大仏は胴体がない、お顔だけの大仏なんです!

【写真】上野大仏は、京成上野駅(JR不忍口)から公園内を中央に通る道(さくら通り)の途中にあります。

ただ、小高い丘の上にあって、そこへ登る階段も木が生えたりして目立たないので、知らずに通ると、気づかず通り過ぎてしまいます。

撮影地:東京都台東区上野公園

上の写真では、「合格祈願 上野合格大佛(大仏)」と書かれた看板もありますね。何でしょうか?

【写真】大仏ですが、お顔だけですので、こじんまりした祠の中にいらっしゃいました。

撮影地:東京都台東区上野公園

【写真】正面から撮りました。とても柔和な、ありがたいお顔です。

撮影地:東京都台東区上野公園

【写真】アップでもう1枚!近くで見ると、う〜ん、やっぱり大きい。私なんか全然敵わないお顔のデカさです。

撮影地:東京都台東区上野公園

二度と落ちない大仏です

もともとこの場所は、越後村上藩(今の新潟県村上市)藩主の堀直寄という人のお家があったところで、戦乱に敗れた敵味方の将兵の冥福を祈るために、寛永8年(1631年)に高さ2m80cmほどの釈迦如来像を邸内に建てたのが、ここの大仏の始まりだそうです。

しかし、その大仏は粘土を漆喰で固めただけもので、正保4年(1647年)の地震で倒壊してしまったそうです。それで、その後木喰僧浄雲という人が3m60cmを超える青銅製の立派な釈迦如来坐像を建て直したそうです。

その後、安政2年(1855年)の大地震で頭部が倒壊したものの堀家が修復、明治以降も鎮座していたのですが、関東大震災では再び頭部が落下、頭部のみ寛永寺で保管され、さらに第二次世界大戦時の金属供出令により胴体・脚部は国に供出されたのです。

そして、昭和47年(1972年)に寛永寺がもともと大仏があった場所に壁面を設けて、顔面だけをレリーフ状に出した大仏として安置したのです。

このように、地震によって2回も頭部が倒壊した大仏なのですが、今はお顔だけのお姿で壁に埋め込まれて安置されていますので、もう落ちることはありません。それで、「絶対に落ちない」ということに掛けて、「合格大仏」として受験生の信仰を集めるようになった、というわけだったんです。

【写真】大仏の前には、胴体が在りし日の写真が飾られていました。なかなか立派ですが、なんとなく、頭でっかちなアンバランスさを感じてしまいますね。

撮影地:東京都台東区上野公園

【写真】合格祈願の絵馬もたくさん奉納されていましたが、大仏さんのお顔が書かれたデザインになっていました*\(^o^)/*

撮影地:東京都台東区上野公園

【写真】大仏の近くには「パゴダ」と呼ばれる塔が建っています(パゴダとは仏塔のことだそうです)。これは、上野観光連盟が上野公園の名所の一つにしようと昭和42年に建てたものだそうです。

内部には、もともと東照宮にあった薬師如来像、月光菩薩像、日光菩薩像を安置していて、中をのぞき見ることもできますが、写真撮影は不可でした。

撮影地:東京都台東区上野公園