探訪日:2023年(令和5年)10月24日(火曜日)
探訪番号:47
投稿日:2023年11月6日
ブログ分類:パワースポットめぐりシリーズ #9
昨日のブログでは、東京・上野にある寛永寺清水観音堂にお参りしたことを書きました。
寛永寺清水観音堂は、京都にある清水寺を模した建築になっていて、お参りしていたら、京都の清水寺にも行きたくなりました。
それで、東海道新幹線の一番電車に乗って、京都に行ってきました!
【写真】京都駅前から、市バス206系統に乗車しました。
【写真】五条坂というバス停で下車し、10分ほど歩くと、清水寺の入り口となる仁王門に到着しました。仁王門と西門と三重塔を同時にパチリ!いずれも国の重要文化財に指定されています。
【写真】「清水の舞台」で知られる本堂です。1633年に再建され、なんと釘を1本も使用せず建てられています。390年もの間、多くの参拝客を支えています。国宝に指定されています。
【写真】ちょっと角度を変えて、三重塔が入るように撮りました。京都らしい風景です。
【写真】舞台の上では、たくさんの参拝客の皆さんが拝観していました。遠方に京都市街地も見えました。中央に京都タワーも見えますね!紅葉にはまだちょっと早かったです。
【写真】清水の舞台を奥に進むと、地主神社という神社がありました。ここは縁結びの神様として人気があり、たくさんの参拝客が訪れるのですが、なんと、現在は修復工事のため閉鎖されていました。工事が完成するのは2025年の予定とのこと。私の良縁もまだ遠し、といったところでしょうか(≧∇≦)
清水寺の創建は、なんと778年の奈良時代。京都に都が移される(794年)よりも前のことです。
奈良の興福寺で修行していた賢心(けんしん)というお坊さんが、ある日「南の地を去れ」というお告げの霊夢を見て、北に向かいます。
そして、現在の清水寺がある場所で、清らかな水が湧き出す滝を見つけます。
滝のほとりには、行叡居士(ぎょうえいこじ)という老仙人がいて、自分は東国に修行に行くから、ここにお堂を建ててほしい、と言って、霊木を託されます。
賢心はその霊木で観音菩薩像を彫りました。
数年後、賢心は鹿狩りをしていた坂上田村麻呂と滝のある場所で出会い、田村麻呂は賢心に寺院建立の協力を申し出て、妻の三善高子とともに賢心が彫った観音菩薩像を御本尊とする寺院を建てました。これが清水寺の始まりです。
【写真】清水の舞台から見下ろすと、賢心が発見した「音羽の瀧」が見えました。結構な高さがあって、ちょっと怖かったです。
【写真】今も清らかな水が湧き出す音羽の瀧です。「清水寺」の寺号の由来にもなっています。
【写真】音羽の瀧から見上げると、壮観な清水寺の本堂!これが約400年前に造られたとは、ちょっと信じられません。
私はもちろん、本堂や奥の院といった伽藍も拝観したかったのですが、一番拝観したかったのは、境内中央部にある開山堂です。
この開山堂は、清水寺の創建に関わった行叡居士、賢心、坂上田村麻呂、三善高子が祀られています。
坂上田村麻呂が祀られていることもあって、「田村堂」とも呼ばれています。
私は坂上田村麻呂とは何の関係もないのですが、苗字が「田村」ということで、一方的な親近感があります。
【写真】開山堂(田村堂)前です。仁王門からここまでは無料で拝観できます。開山堂の向かいにある建物で拝観料を納めてチケットを購入するのですが、開山堂は地味な建物のためか、スルーして本堂の方に向かわれる参拝客の方が多かったです。
【写真】開山堂の全景です。寛永年間の創建で、国の重要文化財に指定されています。
【写真】近くに寄ってみると、「重文 田村堂」の看板がありました!実家の表札のような気がして、思わず「ただいま〜」と言いそうになりました(なってないだろ!というツッコミは無しでおねがいします)。
【写真】拝観チケットがすてきなデザインでした(^o^)