探訪日:2024年(令和6年)1月17日(水曜日)
探訪番号:66
投稿日:2024年4月11日
ブログ分類:博物館めぐりシリーズ #8
前回のブログでは、東京の臨海副都心にある「船の科学館」に行ったことを書きました。
この科学館は、4つの施設からなっていましたが、老朽化などの理由により、そのうち3施設は1月で一般公開が終了となり、解体工事が始まっています。
しかし、科学館の近くには、初代南極観測船としてお馴染みの「宗谷」が係留されていて、こちらは現在も引き続き見学することができるようになっています。
【写真】船の科学館の前の波止場に係留されていました。新交通ゆりかもめの東京国際クルーズターミナル駅から歩いてすぐのところにあります。
【写真】入り口です。なんと、入場は無料です。
【写真】船上から見えた、船の科学館の本館です。
「お台場」とも称される臨海副都心地域は、大半が江東区に属していますが、フジテレビやアクアシティがあるエリアは港区、また、船の科学館や潮風公園のあるわずかな地域は品川区に属しています。だから、船の科学館の住所は品川区東八潮ですが、宗谷が係留されている場所は江東区青海となっています。
「宗谷」はもともと、1938年にソビエト連邦(今のロシア)からの発注で、砕氷型貨物船として長崎県の造船所で建造されました。
しかし、大日本帝国海軍がその性能に注目して買い入れを検討したことに伴い、ソビエトへの引き渡しが中止されました。
その後、海軍の特務艦として活躍。特務艦とは、直接戦闘には加わらないものの、戦地で測量や輸送などの役割をする軍艦です。
第二次世界大戦中は、他の戦艦が次々と撃沈される中、何度も魚雷などの攻撃を受けながらも生き残り、「奇跡の船」と称されるようになります。
戦後は引揚船や灯台補給船となり、その後、南極観測のため砕氷能力を高くする改造が行われ、1956年11月、第一次南極観測に出発しました。
【写真】船の中の独特な狭さが、結構好きです。
【写真】こちらは海軍時代に士官食堂として使われた部屋です。士官とは幹部クラスの隊員で、他の部屋に比べ、豪華な施設でした。
【写真】士官の寝室です。
【写真】奥にある、鉄製のおまるみたいなのは、外気を室内の取り入れるもので、航海中の暑さをしのいだものだそうです。
【写真】洗面所や浴室もありました。
【写真】船内の病院とも言える、治療室です。中央にいる人はマネキンです。南極観測船時代は、簡単な手術も行われたそうです。
【写真】南極観測船時代、日本との間の唯一の交信手段となった通信室です。
【写真】操舵室にも入れました。
【写真】ヘリコプター発着甲板です。第二次南極観測後の改造でヘリポートが増設され、日本で初めてヘリコプターを搭載した船となりました。第三次南極観測時には、ここから出発したヘリコプターが、第一次観測時に置き去りにされた樺太犬の「タロ」「ジロ」を発見しました。
【写真】ファンネル(煙突)には、海上保安庁のマークがありました。戦後は海上保安庁の所属となり、1978年に退役。翌年から現在の場所に係留され、保存展示されています。
【写真】船尾になびく国旗です。やっぱり日章旗のデザインはカッコいい!
【写真】入口のところで、御朱印ならぬ来館記念の「御船印」を購入できました。500円です。