現地に行っていろいろなものを見てくるフィールドワーク系ブログ

新潟市の地下街「西堀ROSA」に行きました!

探訪日:2024年(令和6年)2月27日(火曜日)

探訪番号:70

投稿日:2024年6月10日

ブログ分類:地下街めぐりシリーズ #1

新潟市の古町(ふるまち)地区は、江戸時代から続く、市内で最大の繁華街にして、中心業務地区でした。

高級料亭や飲食店が集積し、百貨店などの大型店舗が建ち並び、新潟市役所、日本銀行や都市銀行の支店、新潟証券取引所、日本最古の銀行の一つである第四銀行(現・第四北越銀行)の本店等、新潟県の金融・ビジネスの中心地として栄えていました。

しかし、昭和の終わりから平成にかけて、大型店舗はほとんどが閉店し、都市銀行の統廃合、新潟証券取引所の廃止等、ビジネスの中心地としての地位も低下、さらに、商業の中心地が、信濃川対岸の新潟駅・万代地区に移ったこともあって、古町は著しく衰退しました。

そんな古町に、全国でも珍しい地下街があります。それが「西堀ROSA(ローサ)」です。

何が珍しいのかと言うと、鉄道駅に一切接続していない地下街なのです。

新潟市は完全なモータリゼーション都市で、政令指定都市では唯一、JR線以外の鉄道が通っていないのです。

明治時代には、古町地区に新潟駅を造る計画がありましたが、なんと、信濃川を渡す鉄橋が当時は技術的に造ることができず、仕方なく新潟駅は信濃川対岸に造ることになりました。これが、今日の新潟市の繁華街の分断を招いたのです。

そんなわけで、古町地区は繁華街にもかかわらず、鉄道空白地域になってしまったのです。

西堀ROSAは、地下駐車場を建設する際に、ついでに地下街も作ったらどうか、との提案により、1976年に開業しました。

最盛期の1993年には、若者向けの店舗を中心に、47店舗が出店し、50億円を売り上げましたが、前述の通り、その後の古町地区の衰退により、利用客も減少。

運営する第三セクターの新潟地下開発という会社が、2006年に新潟市から9億円の借入を行なったものの、昨年11月に返済の目処が立たないとして、来年10月までに会社の解散を決定、来年3月までにテナントに退去を求めた、と報道されました。

運営会社が解散すると言っても、ただちに西堀ROSAが無くなる、ということではないようで、新潟市が市民の意見も踏まえて、今後の地下街のあり方を検討するようです。

【写真】西堀ROSAは新津屋小路から新堀通までの約330メートル、西堀通の地下部分にあります。新津屋小路側の入り口です。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】地下に向かう階段です。11時半頃の様子です。平日とはいえ、政令指定都市の繁華街にしては、かなり閑散として寂しい感じがしました。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】新堀通側の入り口です。東京なら、地下鉄の入り口、と言ってもいい雰囲気がありますね。

撮影地:新潟市中央区西堀前通七番町

【写真】現在も洋品店やレコード店、喫茶店など、約30のテナントが入居。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】シャッターが降りている店舗も多いです。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】テナント募集のお知らせも出ていました。

撮影地:新潟市中央区西堀前通七番町

【写真】地下街の中央にある「ローサ 出逢いの広場」です。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】「ROSA」とはイタリア語で「薔薇」の意味。だから、地下街のいろんなところに薔薇のモチーフがありました。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】レトロな感じがステキです。今は昭和レトロや平成レトロといった、ちょい昔のカルチャーは流行りですから、それを活かした立て直しはできないものなのかな、と思います。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】こちらのレトロな感じの薔薇のモチーフもステキです。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町
撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

【写真】新堀通側の終端には、こちらもレトロな雰囲気なトイレがありました。

撮影地:新潟市中央区西堀前通七番町

【写真】昭和を感じさせる壁とロゴがステキです。

撮影地:新潟市中央区西堀前通六番町

いっそうのこと、西堀を復活させてみては?

ところで、「西堀ROSA」の「西堀」とはなんでしょうか?

新潟市の古町地区は、江戸時代からクリーク(水路)が張り巡らされ、それに沿って柳が植えられ、花街に芸妓さんが行き交う、とても風情がある町だったそうです。新潟市は「柳都(りゅうと)」という雅称もあるくらいです。

しかし、昭和39年の新潟国体を機に、モータリゼーションが進んだこともあって、風情のあった堀をすべて埋め立て道路にしました。

昭和30年代までは、新潟市は観光客にも人気の街だったそうですが、今は、どう贔屓目に見ても、日本海側のライバル都市である金沢市に観光面では完全に負けていると言わざるを得ません。

もし、今でも新潟市に堀と柳が残っていたら、かなりの観光資源になっていたことは間違いないでしょう(ただ、埋め立てられたころの堀は、ゴミ捨てなどの汚染で、かなり悪臭もあり、埋め立てを歓迎する市民も多かったみたいです)。

さすがに新潟市は本州日本海側最大の都市として、高度成長期の道路整備が必要だったのは仕方がないことだったと思いますが、堀を全部無くす必要はあったのかな、と思います。東京の路面電車もそうですが、日本の都市開発は、徹底的に古いものを壊し、一切を新しいものに作り直すことが多いような気がしますね。

古町地区は、縦横にたくさんの道が通っていて、しかも、私が知る限り、人通りも車通りも、さほど多くはないように見受けられますので、1本くらいは堀を復活させてもいいのかな、と思います。

だから、ちょっと極論かもしれませんが、西堀ROSAの運営会社の解散を機に、西堀ROSAを潰して、西堀通に堀と柳を復活させるのはどうかな、と思います。

西堀通は新潟総鎮守の白山神社という市内で一番大きな神社まで通じていますので、そこまで堀を復活させて、白山神社の参道とし、堀の両側は柳を植えた歩行者専用道にすれば、道の脇にはいろいろな店が出店して、観光客も集まって街も活性化するのではないか、と思っています。