現地に行っていろいろなものを見てくるフィールドワーク系ブログ

新潟市で一番有名な白山神社。境内には、日本初の都市公園もありますよ!

探訪日:2024年(令和6年)2月27日(火曜日)

探訪番号:76

投稿日:2024年8月29日

ブログ分類:パワースポットめぐりシリーズ #13

新潟市内で一番有名な神社といえば、白山神社でしょう。新潟駅からは3kmほどのところにありますが、周辺には新潟市役所や県民会館、新潟大学(医学部、歯学部)など、さまざまな施設が点在しています。

全国に3000はあると言われる白山神社の総本社は、石川県白山市にある、白山比咩神社です。新潟の白山神社も、白山比咩神社から主祭神の菊理媛大神(白山大神)を勧請し創建されました。

火事により記録が消失してしまったこともあり、詳しい創建時期はわかっていないそうですが、約1000年前に創建されたと言われています。

菊理媛大神は縁結びの神様として知られ、女神様ということで安産、子育て、家内安全のご利益もあり、さらに繁栄の神様として商売繁盛、また、新潟は農業や漁業が盛んなことから、五穀豊穣、海上安全のご利益もあるということで、「新潟総鎮守」として、新潟市民に親しまれています。

【写真】赤い鳥居がステキです。

撮影地:新潟市中央区一番堀通町

【写真】こちらの鳥居は、北前船で広島県の尾道から運ばれてきたものだそうです。船主の人たちが、海運の安全を祈願して奉納したものだそうです。北前船とは、江戸時代から明治時代にかけて、大阪と北海道を日本海側を経由して行き来した船で、日本海側の各地にさまざまな物資や情報、文化をもたらしたんです。

撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山神社境内)

【写真】堂々とした、立派な本殿です。

撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山神社境内)

【写真】御朱印をお受けいたしました。お正月に能登半島を中心に発生した巨大地震の復興チャリティーを兼ねた御朱印をチョイス!

撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山神社境内)

【写真】なんと、御朱印を載せて、写真を撮るための台も用意されていました。SNSでの投稿も案内されていました。神道は、あらゆるところに神様が宿っている、という考え方ですから、こうしてインターネットで神様のご利益を拡散して、みんなの運気をあげるような試みはベリーナイスだと思いました。

撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山神社境内)

白山神社の境内には、白山公園という、立派な公園があります。

なんと、この公園、造成が開始されたのが明治5年(1872年)で、翌年には都市公園の整備を目的とした太政官布達により、東京の上野公園や飛鳥山公園、水戸の偕楽園、大阪の住吉公園、広島の厳島公園などとともに、全国25ヶ所の一つに指定され、日本初の都市公園の一つとなりました。

【写真】オランダ風の回遊式庭園で、よく手入れされていて、すばらしい公園です。日本の都市公園100選に選ばれていて、2018年には国の名勝にも指定されました。

撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山公園内)
撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山公園内)
撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山公園内)

明治時代の新潟は、日本初の都市公園である白山公園が開設された他にも、日本で4番目の銀行が設立されたり、日本で初めてミートソースを提供し、日本最古のイタリア料理店と言われる「イタリア軒」が開業したりしています。

幕末に開港5港の一つに選ばれたとはいえ、大都市とは言い難い地方都市の新潟が、いち早く近代化を成し遂げたのはどうしてなのでしょうか?

これは、第2代の新潟県令(今の県知事)である、楠本正隆の尽力によるものが大きいです。

楠本正隆は新潟県令になる前は、外務大丞という役職にあり、海外の事情にも精通していました。それで、新潟を、日本を代表する開港場の一つとして、外国に対して恥ずかしくない都市にすることを目指したのです。

ヨーロッパの都市には誰でも自由に入れる庭園があり、市民の憩いの場となっている、ということを知っていて、白山公園(当時は新潟遊園と呼称)を造成したほか、銀行の設立、イタリア軒の開業のみならず、県議会の開設や地租改正事業の推進など、数々の近代化政策を実行し、名地方官の呼び声も高かったのです。

こんな立派な人が新潟にいたのか!という感じがしますが、実は楠本正隆は肥前大村藩(今の長崎県大村市)の出身で、新潟とは縁もゆかりもない人。大久保利通にその能力を買われ、新潟県令に任命されたのです。

というのも、戦前の日本には地方自治という考え方はなく、強い中央集権の国家体制のもと、県令(県知事)も現在のように住民による直接選挙で選ばれるのではなく、中央政府が任命したのです。

ウィキペディアで歴代の新潟県令・県知事の項目を見て、愕然としました。戦前の官選知事は40人いますが、新潟県または越後国・佐渡国の出身者はゼロ。一方、戦後の住民が直接選ぶ公選知事は現在で10人目ですが、そのうち9人が新潟県出身と、際立った違いを見せています。

私も新潟県出身者として、毎回新潟県知事選挙は注目しているのですが、候補者選びの基準として、まず新潟県出身者であることが絶対条件になっている気がしています。

むろん、新潟県民からしたら、どこの馬の骨ともわからないような余所者に県政をやられてたまるか、という気持ちがあるのはよくわかるのですが、それだと、やはり限られた能力の人材から選ばざるを得なくなると思うんです。

これは何も新潟だけの現象ではなく、東京は別格として、大阪や名古屋といった大都市圏でさえも、知事や市長は地元出身者が第一条件になっている気がして、それだと、人材の硬直化につながってしまうのではないかな、と思っています。

誤解なきよう言うと、新潟県出身者だから能力が低い、ということではないです。明治時代にも、近代的な郵便制度を確立した前島密や、阪神電鉄初代社長の外山脩造など、県外で活躍した人はたくさんいます。

つまりは、狭い日本、出身地にこだわることなく、縁もゆかりもない地でもどんどん人材を回していけば、日本ももっと活性化するのではないかな、と、楠本正隆のことを調べていてふと思ったんです。

【写真】白山公園内に、楠本正隆の銅像が建っていました。顎に手をやり、新潟の発展を見守ってくれているようでした。

撮影地:新潟市中央区一番堀通町(白山公園内)