探訪日:2024年(令和6年)3月18日(月曜日)
探訪番号:79
投稿日:2024年9月22日
ブログ分類:博物館めぐりシリーズ #9
国立天文台は、天体の計算や観測を行う、我が国の天文学の中枢を担う研究施設です。
明治11年(1878年)に東京帝国大学理学部観象台として発足、明治21年(1888年)に東京の麻布に移転して東京天文台と改称。さらに、都心の都市化により天体観測には適さなくなったことから、大正13年(1924年)9月1日、東京府北多摩郡三鷹村(今の東京都三鷹市)に移転しました。
つまり、今月で、三鷹に移転して100周年ということになります。
【写真】立派な門構えの、国立天文台三鷹キャンパス(本部)です。
三鷹キャンパスは、一般の人も無料で見学できるんです。ただ、基本的には、東京大学を中心とした、大学の共同利用を目的とした研究機関ですから、一般見学客が立ち入れるエリアが制限されていました。
【写真】門を入って右手のところに守衛所があり、そこで名前を書くと、見学者シールをもらえます。そのシールを服の目立つところにつけて、見学者ということがわかるようになっていました。ちなみに、この守衛所の建物は、国の登録有形文化財に指定されています。
【写真】第一赤道儀室です。1921年に建設され、三鷹キャンパスで現存する建物では最古のものです。
【写真】建物の中には、太陽を観測する20cm屈折赤道儀がありました。これは、1927年にドイツのカール・ツァイス社から輸入されていたもので、1998年まで観測を続けていました。
【写真】ゴーチェ子午環室です。
【写真】1924年に建設された建物です。100年の歴史が感じられ、大正時代の学者になった気分です。
【写真】子午環のある内部はガラス張りで、中には入ることはできませんでした。
【写真】子午環は、子午線(地球の経線)上の天体の位置を正確に計測することができる望遠鏡です。このゴーチェ子午環は、1904年にフランスから輸入されたものです。1923年に発生した関東大震災の時は、なんと、麻布から三鷹に移転する準備中で、移転のために梱包されていたため、難を逃れたそうです。
私が見学したのは、今年の3月18日。その1週間前の3月11日、「レプソルド子午儀及びレプソルド子午儀室」が日本天文学会の日本天文遺産に認定されました。
【写真】そのレプソルド子午儀室です。1925年に建設されたものです。
【写真】こちらもガラス越しでしたが、中に設置されていたレプソルド子午儀を撮りました。1881年にドイツから輸入されたものです。
【写真】こちらは、天文台歴史館です。1926年に完成した建物で、国の重要文化財に指定されています。中には、1929年にドイツで製造された屈折望遠鏡が設置されています。
【写真】中を見学しようとしたら、こんなお願いが!
【写真】階段を昇ると、赤い円形の観測床がありました。この床は観測用にエレベーターで上下する構造になっているため、強度の問題で20人以上は乗らないでください、という注意の張り紙が貼ってあったのです。
【写真】私は体重が約95kgで、普通の人2人分に近い重量がありますから、床に踏み入れるときは、ちょっと緊張感。幸い、他の見学者はいらっしゃらなかったので、よかったです(*^o^*)
ちなみに、ここで豆知識を一つ。一般のエレベーターには、中のボタンを押すところの上あたりに、定員の人数が書いてありますよね〜。あれ、どうやって算出しているか、ご存知ですか?
実は建築基準法の第129条に規定があって、エレベーターの最大積載量に対して、1人あたり65kgとして定員を算出することになっているんです。つまり、私は法的には約1.46人分の体重ということになります(≧∇≦)
【写真】とても大きな望遠鏡がありました。レンズ口径は65cmもあり、国内の屈折望遠鏡としては最大口径機となっていて、1998年まで現役として天体観測をしていました。
【写真】食堂・売店のある、コスモス会館という建物です。一般見学者も利用可でした。
【写真】売店で、紺と白のTシャツを思わず購入しました。
【写真】家に帰って、着てみました。NAOJのロゴがカッコいいです。ちなみに、奇異な顔面については、こちらのブログをご参照ください→https://tamuratakuto.jp/23-11-17-2100/
【写真】白バージョンです。漢字のロゴもカッコいいですが、なんとなく外に着ていくのは抵抗感…。