探訪日:2024年(令和6年)7月31日(水曜日)
探訪番号:87
投稿日:2024年12月25日
ブログ分類:パワースポットめぐりシリーズ #16
東京に住んでいる方や観光に来られた方は、地下鉄によく乗られると思います。東京の地下鉄は、相互乗り入れ等で郊外まで路線を伸ばしていて、その行き先から、行ったことはないけど知名度が高い駅名がいくつか存在します。たとえば、中央林間駅や南栗橋駅、印旛日本医大駅や東葉勝田台駅などです。
そして、都営新宿線の終着の本八幡(もとやわた)駅も、行ったことはないけど知名度が高い駅の一つと言えるでしょう。
「八幡」という地名は全国各地に存在し、読み方は「はちまん」「やはた」「やわた」などさまざま。それらの地名は、その地に八幡宮という神社があることが由来です。八幡宮は大分県の宇佐神宮を総本社とし、その数は全国で4万を超えるそうです。
本八幡駅は千葉県市川市にあり、やはり近くに葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)という神社があるのです。
でもなんで「本」が付いているのでしょうか?実は近隣に大正時代に開業した京成電鉄の八幡駅があり、昭和10年には近くを走る省線(今のJR)総武本線にも駅ができることになり、当初は京成と同じ「八幡駅」とする予定でした。しかし、すでに福岡県に省線の八幡駅というのがあったのです。日本史の教科書にも載っている、官営八幡製鉄所の最寄りの駅です。それで、混同を避けるために、「本八幡」という駅名になったのです。
平成元年には都営新宿線がJR本八幡駅まで延伸開業し、終着駅となりました。
そこで、本八幡駅の駅名の由来である葛飾八幡宮にお参りに行ってきました!
【写真】JR本八幡駅近く、国道14号線(千葉街道)沿いに一の鳥居がありました!ここから神社の入り口となる神門まで250メートルほどの参道が続きます。
【写真】参道の途中に、なんと京成電鉄の踏切がありました!踏切の先に二の鳥居がありました!
【写真】二の鳥居からは歩道専用の参道になっていました。
【写真】参道の途中に、随神門がありました。これは、明治時代に神仏習合が禁止されるまでこの地に上野の寛永寺の末寺があって、その仁王門だったそうです。市川市の指定有形文化財です。
【写真】神門に着きました。
【写真】立派な拝殿がありました!
【写真】拝殿の横には、推定樹齢1200年と言われる御神木のイチョウの木がありました。国の天然記念物に指定されています。
葛飾八幡宮は平安時代の寛平年間に創建され、1000年以上の歴史があります。八幡宮の祭神である八幡神は武運の神様であることから、平将門や源頼朝、太田道灌、徳川家康など、名だたる武将の崇敬を集めたそうです。
今でも、「かつしか」が「勝つしか」に通じることから必勝祈願のご利益があるほか、開運厄除、安産育児の守護として地元の方に親しまれています。
さて、一の鳥居の近く、国道14号線沿いの市川市役所の斜向かいに、不知森(しらずのもり)神社という小さなお宮があり、その周囲に竹が鬱蒼と生える一角があります。
この一角は、古くから一度入ったら二度と出られないと言われていて、今でも禁足地として立ち入ることはタブーとされています。俗に「八幡の藪知らず」と言われていて、道に迷うことの慣用句になっているほどなんです。
その理由は諸説あって、日本武尊の陣屋があったところだからとか、平将門の家臣がこの地で亡くなったからなど、いろいろ言われていて、江戸時代には水戸黄門がこの地に入ってしまい祟りがあった、などの話も伝わっているそうです。
また、葛飾八幡宮の放生会という行事で生きた魚を使うため、その魚を放すための放生池がこの地にあったため、という説もあるそうです。
ちょっと怖い感じもしますが、人間の欲望は留まることを知らず、どこまでも自然を破壊して開発してしまうから、禁足地の伝説を作って戒めとした昔の人の知恵なのかな、と私は解釈しました。
【写真】国道14号線沿いにある、「八幡の藪知らず」です。自動車も歩行者も通行量がかなり多く、近隣には建物がたくさん建っていて、禁足地からイメージする秘境の雰囲気は全くありません。
【写真】不知森神社がある一角は入ってお参りすることができました。
【写真】神社の御朱印もありますが、葛飾八幡宮の社務所でいただけるようです。