探訪日:2025年(令和7年)4月24日(木曜日)
探訪番号:102
投稿日:2025年6月30日
ブログ分類:史跡・旧跡めぐりシリーズ #8
当ブログは100探訪を達成したことを記念して、「百」にまつわるスポットとして、東京都墨田区にある「向島百花園」、東京都新宿区にある「百人町」に行ったことを書いてきました。
今回は「百」シリーズの最後として、埼玉県にある「吉見百穴」に行ったことを書きたいと思います。
【写真】東武東上線の東松山駅からバスで5分、バス停から歩いて5分くらいで、吉見百穴に着きました!
吉見百穴とは、丘陵の斜面を利用して掘られた、たくさんの穴がある場所です。
江戸時代より「百穴」と呼ばれていて、明治時代の発掘調査により、237もの穴が発掘されました。大正時代には、国の史跡に指定されています。
何に使われた穴なのか、住居説や墳墓説など論争となりましたが、その後の調査・研究により、古墳時代の6世紀末から7世紀後半に造られたお墓(横穴墓)の跡であることがわかりました。
なお、「よしみひゃっけつ」と呼ぶ人が多い気がしますが、公式では「よしみひゃくあな」という読み方になっているようです。
【写真】門から入場すると、眼前に圧巻の横穴群が現れました!
【写真】吉見町のキャラクター「よしみん」の顔ハメ看板がありました。吉見百穴は東松山市との境となる市野川の川沿いにあり、吉見町に所在しています。吉見町はイチゴが特産品で、埼玉県内では生産量一位なんです。それで、イチゴがキャラクターになっているのですが、よく見ると、種のつぶつぶは、吉見百穴の横穴墓をイメージしたものになっていました!
【写真】近くで見ると、さらに圧巻!トライポフォビア(集合体恐怖症)になりそう(^^;)
【写真】階段が整備されていて、上の方まで登れるようになっていました。
【写真】ブログやYouTubeでは、穴の中に入ってリポートしている方もいらっしゃいましたが、穴の前には三角コーンが置かれていました。
【写真】通路にはこんな看板も。文化財保護の観点からでしょうか、穴の中に入るのはNGのようですね。
【写真】上まで登ると結構な高さで、東松山市街が一望できました。
【写真】吉見百穴にはヒカリゴケという苔類が自生しています。ヒカリゴケは薄暗くて涼しい湿った環境を好むため、主に北海道や東日本の山地に自生していますが、吉見百穴はその環境に適しているため、関東地方の平地部では珍しい自生地となっています。そのため、国の天然記念物に指定されています。
吉見百穴には、第二次世界大戦の末期、地下軍需工場も造られました。
東京の武蔵野町(今の武蔵野市)で戦闘機を製造していた中島飛行機の工場は、アメリカ軍の攻撃により壊滅状態となりました。
それで、大宮市(今のさいたま市北区)にあった中島飛行機の工場も、空襲に備えて工場を疎開させることになり、生活物資の調達がしやすく、掘削もしやすい場所ということで、吉見百穴に地下軍需工場が造られたのです。
【写真】地下軍需工場跡の入り口です。
【写真】以前は中に入って見学できたようですが、現在は崩落の危険があるため、当面の立ち入り禁止となっていました。
地下軍需工場の建設のため横穴墓の一部も壊されたため、吉見百穴で現在確認できる横穴墓は219基となっていますが、それでも国内最大級の横穴墓群になっています。