探訪日:令和7年(2025年)8月29日(金曜日)
探訪番号:107
投稿日:2025年9月25日
ブログ分類:パワースポットめぐりシリーズ #22
東京都世田谷区にある曹洞宗のお寺、大谿山豪徳寺にお参りに行きました。
豪徳寺はもともと「弘徳院」という名前で、臨済宗のお寺として文明12年(1480年)に創建されました。
その後、天正12年(1584年)に曹洞宗に改宗。寛永10年(1633年)には、世田谷が近江彦根藩(今の滋賀県彦根市)の領地となったことから、弘徳院は彦根藩主・井伊家の関東での菩提寺となりました。さらに万治2年(1659年)、2代藩主の井伊直孝の法号(戒名)にちなんで、「豪徳寺」と改称されました。
【写真】山門です。「碧雲関」と書かれた扁額がありました。「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味すると言われているそうです。
【写真】山門を入って右手に、延宝7年(1679年)に鋳造された梵鐘がありました。世田谷区指定有形文化財に指定されています。
【写真】梵鐘の先に延宝5年(1677年)建立された仏殿がありました。正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。こちらも世田谷区指定有形文化財に指定されています。
【写真】仏殿の奥に、法堂(本堂)がありました。
【写真】「豪徳禅寺」と書かれた扁額がカッコいいです。
【写真】賽銭箱が無いな、と思っていたら、小窓を開けて、中の賽銭箱にお布施を入れる方式でした。
【写真】仏殿近くに、井伊家から寄進された赤門がありました。上屋敷にあった長屋門を移設したものです。
【写真】山門を入って左手には、三重塔がありました。2006年に落慶した、新しい伽藍です。あとで調べたら、十二支の動物や猫の置物が飾られているようです。再訪した時に、探してみようと思います。
豪徳寺は、一説には、招き猫の発祥の地と言われています。
彦根藩2代藩主の井伊直孝が鷹狩りの帰り、お寺の前を通りかかると、門前にいた猫が手招きするので、お寺で休憩することにしました。その時、突然雷雨になったそうです。
その間、和尚さんといろいろ楽しくお話をして仲良くなり、また、雷雨を避けられた幸運に感動し、お寺にたくさんの寄進をし、立派なお寺となり、さらに井伊家の菩提寺にまでなったのです。
猫の手招きが招いた縁で、お寺が隆盛したことから、福を招き縁起がいい、として招福殿を建て、招き猫をお祀りするようになったそうなんです。
【写真】招福殿の入り口に、招福猫児の像がありました。豪徳寺の招き猫は右手を挙げているだけで、小判は持っていないんです。これは、直接福をもたらすわけではなく、人を招いて縁をもたらし、その縁を生かせば自ずと福が訪れる、という教えからそうなっているそうなんです。
【写真】招福殿の中に、招福猫奉納所がありました。まるで招き猫の工場のように、無数の招き猫が棚に納められていました。
【写真】一体一体を見ると可愛らしいのですが、並んだ目を集合で見ると、トライポフォビア(集合体恐怖症)になりそうです。
【写真】近くで見ると、右手に小さい招き猫や硬貨が乗せられていました。
【写真】法堂の隣には寺務所があって、授与品の頒布所もありました。
【写真】フォトスポットの招き猫の看板もありました。
【写真】私も招き猫を授かろう、と思ったのですが、安め(小さめ)のものは全てSOLD OUT!一番安価なものでも2500円で、今回はお賽銭のお布施だけにいたしました。
豪徳寺の境内には、一般の墓所もありますが、井伊家の菩提寺として、井伊家の墓所もあり、国の史跡に指定されています。
【写真】井伊家の墓所は、一般の墓所とは別の区画となっていて、周囲は塀で囲まれていました。
【写真】広い土地に、歴代藩主や正室たちの墓がたくさん並んでいました。
【写真】墓所の一番奥に、幕末に大老として活躍し、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼のお墓もありました。