探訪日:令和7年(2025年)9月30日(火曜日)
探訪番号:111
投稿日:2025年10月30日
ブログ分類:博物館めぐりシリーズ #12
前回のブログでは、東京都中野区にある哲学堂公園に行ったことを書きました。哲学堂公園の管理事務所で、「山﨑記念中野区立歴史民俗資料館」というところで「絵馬展」という企画展をやっているというポスターを見かけ、面白そうだな、と思って、行ってきました。
【写真】哲学堂公園から歩いて15分くらいで、山崎記念中野区立歴史民俗資料館に着きました!

山﨑記念中野区立歴史民俗資料館は、郷土の文化遺産を保存し展示活用していくことを目的に、名誉都民である故・山﨑喜作氏から昭和59年(1984年)に寄贈された2600平方メートルの土地に建設され、平成元年(1989年)に開設されました。
山﨑家は旧江古田村の名手で、代々質屋や醤油製造業を営んでいました。中野区はかつて醤油と蕎麦粉が代表的な地場産業だったそうです。喜作氏は山﨑家8代当主で、醤油醸造所の土地を中野区に寄贈したのでした。
【写真】入り口前の案内板の下に、レンガ塀がありました。これは、山政醤油醸造所の塀に実際使われていたもので、明治32年に造られたと推定されています。

【写真】まず、2階の常設展示室に行きました。

【写真】ワンフロアで、そんなに広いスペースではないものの、なかなか充実した展示内容です。

【写真】いろいろな時代の中野区の移り変わりがわかる展示がありました。

【写真】昔の民家の暮らしぶりがわかる展示もありました。

【写真】弥生時代の竪穴住居の模型がありました。

【写真】中を覗くと、弥生時代のファミリーが楽しくお食事中でした。失礼しました\( ˆoˆ )/

さて、楽しみにしていた「絵馬展」は、常設展示室の向かいの企画展示室で行われていました!
【写真】入り口のところに、アンケートや大きいポスターが置かれていました。

絵馬展は、北条時宗(治宗)氏のコレクションを中心に展示されていました。北条時宗氏は、明治34年に新潟県の高田で生まれ、大正10年から小絵馬の研究を続けた人で、中野区に在住していたのです。
【写真】さまざまな絵馬が展示されていました。



古代より、馬は神様の乗り物と言われ、祈願のために神社に本物の馬を捧げる、という風習がありました。その後、本物の馬を奉納するのは大変すぎるということで、馬の形の木彫りを奉納するようになりますが、それも大変ということで、板に馬の絵を描いたものを奉納するようになって、それが絵馬の起源と言われています。
さらに時代が進むと、馬の絵のみならず、お願い事や悩み事に応じた、さまざまなデザインの絵馬に進化していったようです。
【写真】絵馬の絵柄の分類の説明のパネルがありました。

【写真】絵馬の絵柄の中でも、「め」の絵柄が多かったそうです。昔は眼病にかかる人が多かったんでしょうね。また、眼が見えなくなると生活にかなりの支障があるため、眼を大事にしよう、という意識も高かったのかも。左下の、「入浴嫌いの改善」の絵馬も気になります。昔から風呂キャンセル界隈の人がいたんですね〜。

【写真】中野区ゆかりの絵馬の展示もありました。

【写真】前々回のブログで書いた、新井薬師の絵馬も展示されていました。

【写真】山﨑家が奉納した絵馬も展示されていました。

【写真】展示スペースはそんなに広くないのですが、いろいろな絵馬が展示されて、とても楽しかったです。

【写真】1階にスタンプコーナーがありました。

【写真】絵馬のポストカードに、セルフでスタンプを押す方式です。

【写真】私は強欲ゆえ、全スタンプを押しました。欲が強すぎて、左上の「開運招福」の文字が潰れてしまいました(^^;)

【写真】絵馬展は11月30日まで。23日には紙絵馬作りのワークショップも開かれるみたいですね!なお、館内への入場は無料です。

今、御朱印集めが静かなブームですよね。私も今ほどブームになる前の2009年11月に御朱印集めを開始し、10年以上定期的にいろんな寺社にお参りして御朱印をいただいてきたのですが、コロナ禍を機に辞めてしまいました。
今回絵馬展を見て、御朱印集めに代わって絵馬を集めるのも面白そうだな、と思いました。でも、実際に始めるかは、未知数です(≧∇≦)