現地に行っていろいろなものを見てくるフィールドワーク系ブログ

東京・台東区にある、平賀源内の墓所をお参りしました!

探訪日:令和8年(2026年)1月10日(土曜日)

探訪番号:122

投稿日:2026年2月16日

ブログ分類:史跡・旧跡めぐりシリーズ #10

前回、前々回のブログでは、昨年放送されたNHKの大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』のゆかりの地巡りとして、蔦屋重三郎が眠る正法寺と、ドラマにも出てきた九郎助稲荷をお祀りする吉原神社にお参りに行ったこと、それと、蔦谷重三郎が開いた書店『耕書堂』の跡地に行ったことを書きました。

ドラマの中では、安田顕さん演じる平賀源内と蔦谷重三郎の交流も描かれていました。蔦谷重三郎が出版した『細見嗚呼御江戸』の序文を平賀源内が書いていますが、実際、二人がどのくらい関わりがあったのか、はっきりしたことはわかっていないそうです。

『耕書堂』があった吉原と大伝馬町の近くには、平賀源内のお墓と終焉の地があり、そちらにも行ってきましたので、今回と次回のブログで書きたいと思います。

平賀源内は、享保13年(1728年)に讃岐高松藩(今の香川県高松市)の足軽の子として生まれました。幼少期より数々の発明を行い、とくに48歳の時に完成させた、日本初の発電機「エレキテル(摩擦静電気発生装置)」が有名ですよね。

発明の他にも戯作や浄瑠璃の作者、陶芸家、画家、鉱山事業家など、マルチの才能を発揮。本草学や蘭学の研究者としても活躍、28歳の時には日本初の博覧会である「物産会」を開催しました。

そして、52歳の時に些細な口論から友人らと喧嘩し、刀で切りつけて殺傷してしまうのです。伝馬町牢屋敷に投獄され、1ヶ月後に破傷風により獄中死をしてしまうのです。

平賀源内の遺体は、浅草橋場にあった総泉寺に葬られました。このお寺は、関東大震災で被災したため、昭和3年に北豊島郡志村(今の板橋区)小豆沢に移転しましたが、源内の墓だけはそのまま残され、昭和18年には国の史跡に指定されました。

【写真】白鬚橋西詰の明治通りに、「史蹟平賀源内先生之墓」と書かれた立派な石碑がありました。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】石碑の横には「昭和五年十二月 平賀源内先生顕彰會建之」と書いてありました。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】平賀源内の墓所は、明治通りから一本入った、細い路地沿いにありました。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】塀に囲まれ、立派な門がありました。中に入ってお参りすることができました。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】墓所内にも、明治通りにあったのと似ている石碑がありました。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】墓所内は、ちょっとした庭園となっていました。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】昭和5年に建てられた、平賀源内の業績を讃える立派な石碑がありました。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】屋根付きの、立派なお墓です。

撮影地:東京都台東区橋場

【写真】最後は不遇な死を遂げましたが、江戸時代に平賀源内のような大天才がいたことは日本人として誇りに思いながら、手を合わせました。

撮影地:東京都台東区橋場