探訪日:令和8年(2026年)1月10日(土曜日)
探訪番号:123
投稿日:2026年2月24日
ブログ分類:史跡・旧跡めぐりシリーズ #11
前回のブログでは、江戸時代にマルチの才能で活躍した平賀源内の墓所にお参りに行ったことを書きました。
平賀源内は52歳の時、些細な喧嘩から相手を殺傷してしまい、伝馬町牢屋敷に投獄され、1ヶ月後に病気で亡くなってしまいました。
伝馬町牢屋敷は、2600メートルの広大な敷地で、江戸幕府最大の牢屋でした。明治8年に市ヶ谷監獄ができたことで廃止されるまで、250年以上牢獄として使用されました。
跡地の一部は、現在は中央区立十思公園となっています。
【写真】東京メトロ日比谷線の小伝馬町駅からすぐのところに十思公園がありました。伝馬町牢屋敷は、今では考えられないほどの収容者の人権など全く考慮されない劣悪な環境でしたが、今は子供達が元気よく遊んで、平和そのものという空間でした。

【写真】公園内には、東京都指定有形文化財の「銅鐘 石町時の鐘」がありました。この銅鐘は、江戸時代に伝馬町牢屋敷の近くの本石町にあったもので、江戸市中に時刻をしらせたそうです。昭和5年に現在の地に移設されました。

【写真】公園内には「松蔭先生終焉之地」と書かれた石碑がありました。幕末、幕府の政策に反対する人たちを次々と弾圧する「安政の大獄」が行われました。幕府に批判的だった吉田松陰も捕えられ、伝馬町牢屋敷に投獄されて処刑されたのです。


ところで、十思公園という名称ですが、伝馬町牢屋敷とは関係がありません。かつてここに十思小学校という区立小学校があったことから名付けられました。
十思小学校は明治10年に創立されましたが、当時の行政区画が「第十四小区」だったのと、中国の古い歴史書である『資治通鑑』の中にある「十思之疏」を掛けて名付けられたそうなんです。
【写真】十思公園の隣には、十思スクエアという中央区の複合施設がありました。関東大震災で被災した十思小学校は、昭和3年に新しい校舎が竣工されました。その後、少子化の影響もあって平成2年に日本橋小学校に統合され、校舎は十思スクエアとして生まれ変わりました。東京都選定歴史的建造物に選定されています。

【写真】別館の2階には、なんと「十思湯」という銭湯もありました。今度機会があったら入ってみようと思います。

【写真】別館1階には、伝馬町牢屋敷のジオラマがありました。


【写真】伝馬町牢屋敷に収監された有名人のパネルがありました。

【写真】別館建設時に、牢屋敷にあった上水井戸と上水木樋が出土しました。フェンスで囲まれていましたが、ガラス越しに見ることができました。


【写真】十思公園の向かい側には、高野山真言宗の大安楽寺というお寺があります。ここは処刑場があった場所で、その跡地ということで、牢屋が市ヶ谷に移転した後も整備されることなく荒れ地になっていたそうです。そこで、処刑された人たちを慰霊するため、財閥当主の大倉喜八郎と安田善次郎が寄進して明治8年に創建されました。寺号も2人の名前に因んでいるそうです。

【写真】お寺の境内には「江戸伝馬町牢石垣之一部」「江戸伝馬町牢井戸跡」と書かれた札が立っている石がありました。
