現地に行っていろいろなものを見てくるフィールドワーク系ブログ

新潟市のシンボル「萬代橋」を渡りました!

探訪日:2024年(令和6年)2月27日(火曜日)

探訪番号:73

投稿日:2024年7月31日

ブログ分類:橋を渡るシリーズ #3

新潟市には、中心部に信濃川が流れています。信濃川といえば、日本一の長さとして知られていますが、新潟市は河口の街で、最後は日本海に注いでいます。

信濃川にはいくつもの橋が架かっていますが、新潟市内の橋で一番有名なのが「萬代橋(ばんだいばし)」という橋で、現在の橋が出来てからは95年が経過し、新潟市のシンボルとなっています。

初代の橋は、明治19年(1886年)に木製の橋として完成しましたが、明治41年(1908年)の新潟大火で焼失してしまいました。

2代目の橋は大火の翌年に、同じく木製の橋として完成。しかし20年くらい経つと老朽化が激しくなり、新しい橋の架け替えが検討されました。

木の橋の頃は、信濃川は今よりも3倍もの川幅がありましたが、大正11年(1922年)に上流に分水路が完成したことで川幅が狭まったため、木の橋よりも頑丈な、火事にも強い石橋を架けることが技術的に可能になったのです。

それで、現在の3代目の橋が、昭和2年(1927年)に起工、昭和4年(1929年)に完成したのです。

当時は、関東大震災の直後ということもあり、東京ではアーチ型の石橋が一番被害が少なかったことから、3代目萬代橋も6連アーチ(完成当時は8連)の石橋(鉄筋コンクリート橋)が採用されたのです。

しかも、当時アメリカで開発された、最新鋭のニューマチックケーソン(空気潜函)工法という方法で建設され、この方法を日本人技術者だけで建設したのは、萬代橋が初めてだったのです。

完成してからは、あまりにも立派な橋に、新潟市民からも「新潟のような地方都市に分不相応」という声が上がるほど評判が良くなかったそうなんですが、昭和39年(1964年)に発生した新潟地震で評価が一変。

というのも、地震によって、新潟市内の信濃川に架かる橋が軒並み落下、完成して1ヶ月しか経っていない昭和大橋という橋もパタパタと川に落ちてしまったのです。

ところが、完成から30年以上経っていた萬代橋は一部が破損しただけで、ほぼ無事、震災の復興に大きな役割を果たしたからなんです。

そんな経緯もあって、2002年には土木学会推奨土木遺産に認定、翌年には完成当時の意匠に戻すため、設計図を基にリニューアル、2004年には一般国道の橋としては東京の日本橋に次いで2例目となる、国の重要文化財に指定されたのです。

【写真】萬代橋の全景です。橋の向こうに古町地区があります。

撮影地:新潟市中央区万代

【写真】完成当時としては破格の幅員22メートルの橋です。これは、道路の真ん中に路面電車を通す計画があったからなんです。結局、路面電車が通ることはなかったのですが、結果として片側2車線の立派な橋となり、その後のモータリゼーション化にも十分対応できたのです。

撮影地:新潟市中央区万代
撮影地:新潟市中央区万代

【写真】完成時の意匠に戻すため、欄干も低くなりました。近づくと落ちてしまいそうでちょっと怖いです。渡る時はご注意を!

撮影地:新潟市中央区万代
撮影地:新潟市中央区万代

【写真】関東大震災の教訓も踏まえ、橋の架け替えや、災害時の避難場所、円滑な通行を想定して、橋の四隅には広い橋詰広場が設けられていました。歩道が広いもの、いいですね〜(^○^)

撮影地:新潟市中央区万代

【写真】橋の上から、日本海(新潟西港)方面を撮りました。遠くに架かっているのは、2002年に完成した柳都大橋です。それまでは、萬代橋が信濃川の最も川下に架かる橋だったんです。柳都大橋にも渡りました。次々回のブログでご紹介します。

撮影地:新潟市中央区下大川前通2ノ町

【写真】新潟駅方面も撮りました。

撮影地:新潟市中央区川端町

【写真】橋詰壁面に、モルタル塗りのロンバルディア帯と呼ばれるデザインの波模様が施されています。これは建設当時のものです。なんか、萬代橋のアーチのようにも見え、おしゃれですね。

撮影地:新潟市中央区下大川前通2ノ町

【写真】橋の欄干は完成当時は唐草模様でした。橋詰広場に復元されたものが設置されていました。

撮影地:新潟市中央区万代

【写真】親柱に埋め込まれた橋名板です。「昭和四年六月竣功」と書いてありますが、これは完成当時のものではなく、リニューアル時に復元されたものなんです。

撮影地:新潟市中央区下大川前通2ノ町
撮影地:新潟市中央区万代

【写真】歩道と車道の間に立つ、照明灯です。こちらも完成当時の資料をもとに、リニューアル時に復元されたものです。

撮影地:新潟市中央区万代

【写真】夜間の船の航行を安全にするための橋側灯。これも、リニューアル時に復元されたものなんです。

撮影地:新潟市中央区万代

橋の欄干や橋名板、照明灯、橋側灯は復元されたものですが、完成当時のものはどこへ行ったのでしょうか?

実は、太平洋戦争時の金属類回収令によって国に供出されたのです。以前、当ブログでもご紹介した東京の上野大仏も胴体と台座が供出されました。そのほかにも、各家庭の家財道具から、各地に建っていた銅像やお寺の鐘まで、ありとあらゆる金属が回収されました。

当時としては、物資が不足する中、総力を上げて戦争に勝とうとしていた心意気はよくわかるのですが、今から思うと、そんな余裕のない状況で、どうやってアメリカに勝つのか、という感じがしますよね〜。

【写真】鉛筆のような形の黒い部分は、橋側灯が設置されていた跡で、完成当時のものです。台座は取り外すことが困難だったため、国に供出されることはありませんでした。

撮影地:新潟市中央区万代

【写真】まもなく完成から100年を迎える萬代橋。これからも、いつまでも新潟市民を支えていってほしいな、と思います。

撮影地:新潟市中央区万代
撮影地:新潟市中央区万代

橋の近くには、1997年に開通した「万代クロッシング」という地下歩道があります。ここを建設していたとき、なんと、初代・二代目の萬代橋の橋脚の木杭が発見され、現在、モニュメントや展示コーナーが設けられています。次回のブログでご紹介します。