探訪日:2023年(令和5年)10月25日(水曜日)
探訪番号:53
投稿日:2023年11月28日
ブログ分類:五重塔めぐりシリーズ #4
ここ6回のブログでは、10月下旬の京都・奈良旅行で行ったところの記事を書きました。
この旅行の最後に参拝したのは、奈良の興福寺です。今回の旅行の主目的の一つが、五重塔めぐりで、興福寺にも国宝に指定されている五重塔がありますので、拝観してきたのです。
実は2017年にも興福寺に参拝していて、その時はJR奈良駅から歩いて行きました。しかし今回は17時の拝観時間終了までに2時間ほどしかありませんでしたので、時間短縮のためバスで行きました。スマホで調べたら、興福寺の最寄りのバス停は県庁前だということがわかりました。
県庁前のバス停で降りると、なにやら雲行きが怪しい感じ。この日の奈良地方は朝から晴天だったのですが、バスを降りたらポツンポツンと雨が!
そして、なんと、興福寺の境内に入ると、土砂降りに。たまらず、近くにあった国宝館という建物に待避したのです。
スマホで雨雲レーダーを調べると、なんと、関西地方で奈良市上空だけピンポイントで真っ赤な雷雨。いわゆる「ゲリラ豪雨」です。1時間ほどは雨が上がらない、との予測だったのです。
それで、まず、雨宿りも兼ねて、国宝館を拝観しました。
【写真】国宝館から撮った、豪雨の写真です。向こうのほうの空は明るいでしょ?いかにピンポイントな豪雨だったのかわかります。
国宝館では、千手観音像や阿修羅像、金剛力士像など、教科書にも載るクラスの国宝の仏像を拝観することができました。世界一豪華な雨宿りでした。
【写真】スマホで調べた雨雲レーダーは、16時20分ごろ雨が上がるとの予測でしたが、なんとどんぴしゃり、16時20分にすっかり雨が上がりました。レーダーの精度の高さに驚きました。雨が上がった後の国宝館を撮りました。
興福寺は、平城京遷都(710年)に際し、藤原不比等が藤原京にあった厩坂寺という寺を平城京に移し、興福寺と名付けたところから始まります。
不比等は伽藍の中心となる、中金堂という建物を創建しました。
中金堂はその後何度も焼失し、江戸時代の享保2年(1717年)に焼失したのを最後に、財政的な問題から再建されませんでした。その後、文政2年(1819年)に規模の小さくした仮堂が建てられましたが、老朽化が進んだため、2000年に解体されました。
そして、2018年に、創建当時の立派な様式で再建されたのです。
【写真】2017年に参拝した時はまだ工事中で、工事用の囲いがされていました。写真は2017年10月6日に撮影したものです。
【写真】前回は工事中で拝観できなかった中金堂にも入りたかったのですが、雨で足止めを食ってしまったため、時間がなくなってしまい、断念しました。
中金堂の拝観チケット券売所の前も、大きな水たまりができていました。
【写真】中金堂の前にも水たまりができていました。青空が広がっていますが、数分前には豪雨だったんです。
【写真】雨も上がって、鹿たちもお家に帰って行きました。
さて、今回興福寺を拝観した主目的は、国宝の五重塔を見るためです。
初代の五重塔は、藤原不比等の娘である光明皇后の発願により730年に建立されました。その後、5回にわたる焼失を経て、現在の6代目は1426年ごろに再建されたものです。高さは50メートルもあり、現存する江戸時代以前に建立された五重塔としては、前々回のブログで書いた京都の東寺に次いで2番目の高さを誇ります。
今年7月からは、保存修理工事が始まり、来年4月には素屋根(工事用の囲い)にすっぽりと覆われ、姿が見えなくなるそうです。工事が終了し、素屋根が解体されるのは、なんと、2030年の予定とのこと。今のうちに見られるといいと思います。
【写真】立派な五重塔です。初層部分は鉄骨が組まれていました。
【写真】街中でよく見る工事看板も、国宝の五重塔といっしょだと、高級な感じがしますね〜。