探訪日:2025年(令和7年)2月18日(火曜日)
探訪番号:99
投稿日:2025年5月30日
ブログ分類:博物館めぐりシリーズ #11
前回のブログでは、京葉線沿線にあるスポットとして、かの「夢の国」に行ったと思わせて、新木場駅前にある「夢の島熱帯植物館」に行ったことを書きました。
私もいい歳して、そんなくだらないすかしをするのも何なので、今回のブログでは、ついに千葉県浦安市の京葉線沿線にあるテーマパークに行ったことを書きたいと思います。私も何度もリピートしている、大好きなスポットです!
【写真】そんなわけで、今回も舞浜駅をスルーして、新浦安駅で降りました!
【写真】新浦安駅からバスで10分ほどで、浦安市郷土博物館に着きました!距離にして2km弱ですから、帰りは新浦安駅まで歩きました!
浦安市は、旧江戸川を挟んで東京都に隣接していて、市内には京葉線の他に東京メトロ・東西線も通っていて、都心へのアクセスがとても良いため、ベッドタウンとして発展しています。また湾岸の埋立地には、言わずと知れた有名テーマパークが所在し、国内はもとより、世界中からお客さんが訪れます。
しかし、浦安は元々は漁師町として発展していました。しかし、昭和33年に江戸川上流の製紙工場から出た工業廃水により魚介類が大量に死滅し、浦安の漁業は大きなダメージを受けました。
その後、公害を防止する法律が制定されたものの、浦安の漁業は再興することなく、昭和37年に一部の漁業権を放棄、湾岸地域の埋め立て事業が開始されました。
さらに昭和46年には漁業権を完全に放棄し、浦安の漁業の歴史は幕を閉じました。
そんなかつての漁業町としての記憶をとどめ、資料の散逸を防ぐため、2001年に浦安市郷土博物館が開館しました。館内の展示室と、屋外展示場の2つにエリアで構成されています。
【写真】屋外展示場は、昭和27年頃の浦安の街並みの様子を再現しているそうです。右奥の建物は、現代の本物の住宅です(^。^)
【写真】屋外展示場の入り口のすぐのところに川があり、木の橋が架かっていました。渡るとタイムワープできる、といった演出です。
【写真】川にはベカ舟という舟があり、実際に体験乗船することもできます。
【写真】こちらはたばこ屋さん。
【写真】内部もしっかり再現されています。
【写真】建物の一部は、実際に入ることができました。こちらは魚屋さんの建物。
【写真】こちらは「天鉄」という屋号のてんぷら屋さんです。
【写真】入るといきなり「お食事はご遠慮ください」の貼り紙!てんぷら屋さんなのに…(*^_^*)。なお、ここに限らず、館内では全面的に飲食禁止です。
【写真】壁に作家・山本周五郎のパネルが貼ってありました。「天鉄」というてんぷら屋さんはかつて浦安に実在していて、浦安を舞台にした小説『青べか物語』にも登場するそうです。
【写真】こちらの豆腐屋さんは…
【写真】中は、子供が学んだり遊んだりできるスペースになっていました。
【写真】お風呂屋さんやお寿司屋さんは、中に入ることはできませんでした。
館内の展示室は2年前にリニューアル。以前よりも見やすく、展示内容も充実したように思います。
【写真】テーマ展示室の「海とともに」です。
【写真】漁師町・浦安の歴史がよくわかる展示がありました。
【写真】干潟にいる貝類等の模型が展示されていました。
【写真】東京湾にいる魚が泳ぐ水槽もありました。
【写真】隣の部屋は、船の展示室「海を駆ける」です。
【写真】実際の漁船や漁具の展示がありました。
【写真】投網船です。
【写真】実際に乗ることができました!
【写真】「やさしくのってね」の看板。
【写真】90kg超の体重の巨体の私が乗って大丈夫かな、と思いましたが、なんとか乗れました。ちょっと「ミシミシ」と音がしました(^^;)
もちろん、日本一有名なテーマパークもいいんですけど、こちらの博物館も、負けず劣らずの充実した施設です。
しかも、なんと入場無料!もしかしたら、日本一有名なテーマパークからの税収でまかなっているのかも。と考えると、日本一有名なテーマパークにも感謝しないといけないかもしれませんね〜。
〜おまけ〜
ここまで、日本一有名なテーマパークに触れないのも不自然なので、ちょっと言及しようと思います。
東京ディズニーランドは、アメリカ以外では初めてのディズニーランドとして、1983年に開園しました。その後、パリや上海などにも開園しますが、東京ディズニーランドは世界で唯一、アメリカのウォルト・ディズニー社の直営ではないのです。
前述したように、昭和30年代から浦安の海岸線は埋め立て工事が開始されましたが、その埋立地に遊園地を建設する計画が持ち上がりました。
その遊園地を運営するために、三井不動産や京成電鉄などの出資で設立されたのが、オリエンタルランド社です。同社はウォルト・ディズニー社からライセンスを受ける形で、つまり、フランチャイズの遊園地として、東京ディズニーランドを開園するのです。
ウォルト・ディズニー社も、まさかアメリカ国外でディズニーランドが成功するとは考えていなかったらしく、ライセンスでの契約を認めたそうなんです。
しかし、その後の東京ディズニーランドの大成功はご存知の通り。それで、それ以降に世界各地に作られたディズニーランドは、ウォルト・ディズニー社が直営するようになったんだそうです。
【写真】埋め立て後の新しい浦安の歴史がわかる展示もありました。
【写真】オリエンタルランド社に関する展示をありました。昭和30年代の新聞記事にもオリエンタルランド社やディズニーランドに関する記述があったのは、ちょっとびっくりしました。