現地に行っていろいろなものを見てくるフィールドワーク系ブログ

眼病平癒に御利益がある、東京・中野の新井薬師にお参りに行きました!

探訪日:令和7年(2025年)9月30日(火曜日)

探訪番号:109

投稿日:2025年10月10日

ブログ分類:パワースポットめぐりシリーズ #23

今日10月10日は「目の愛護デー」です。

昭和6年に中央盲人福祉協会が10月10日を「視力保存デー」として制定、失明予防の運動を行いました。

この運動は戦争により一時中断されますが、戦後の昭和22年に、中央盲人福祉協会があらためて10月10日を「目の愛護デー」として制定したのです。

どうして10月10日が「目の愛護デー」なのかというと、「10 10」を90度回転させると、目と眉毛のように見えるからなんです。

「目の薬師」と知られる新井薬師

さて、先日、「目の薬師」として知られる、東京都中野区にある新井薬師にお参りに行ってきましたので、今回のブログでは、その写真を載せたいと思います。

【写真】西武新宿線の新井薬師前駅から歩いて10分ほどのところに、境内の入り口がありました。両脇に、寺号が彫られた立派な石碑がありました。

撮影地:東京都中野区新井

【写真】参道を進み、右手に本堂再建供養塔がありました。新井薬師は明和元年(1764年)に火災で消失してしまいましたが、その時の住職の運樹が寄付を募るなど再建の尽力をします。しかし、本堂の建立を待たずして亡くなってしまったため、その供養のため建立されたものです。中野区の登録有形文化財となっています。

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

【写真】供養塔のすぐ先に、山門がありました。

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

【写真】「新井薬師」の提灯が、いい味を出しています。

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

【写真】山門を入り、左手に霊堂がありました。

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

【写真】霊堂の向かい側には、不動堂がありました。

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

新井薬師は、正式名称は「新井山梅照院薬王寺」といい、真言宗豊山派のお寺です。行春というお坊さんが、天正4年(1586年)に創建しました。

行春は行脚の途中、新井の村を訪れました。この地は、かつて争乱で行春の一族が討伐し殺害した相手の一族が定住する地だったのです。しかし、新井の村の人々は、そんな行春の出自を問うことなく、快く受け入れたそうです。

そのことに行春は深く感銘し、この地で日夜真言の行法に努めたそうです。

ある夜、梅の梢から光明が輝いていたので不思議に思い梢を切ってみると、中から二仏一体の尊像が現れました。それを御本尊にしてお寺を建立し、梅から光明が照り輝いていたことから「梅照院」というお寺の名前にしたそうです。これが、新井薬師の始まりです。

【写真】手前の大香炉の奥に、立派な本堂がありました。

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

新井薬師の御本尊は、前述の通り、両面に薬師如来と如意輪観音が配された二仏一体の、国内でもとても珍しい御本尊なんです。弘法大師の作と伝えられています。

薬師如来は「医王」とも呼ばれ、人々の疾病を癒し、寿命を伸ばす力を持った仏様、と言われています。

江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の娘で、のちに後水尾天皇の中宮となる和子が重い眼病にかかったそうです。様々な手を尽くしても治ることなく万策尽きた時、新井薬師に祈願したところ、なんと、すっかり快癒したそうなんです。

このことが江戸はもとより、全国各地に伝わり、新井薬師は「治願薬師」「目の薬師」としてその名が知られるようになったそうです。

【写真】眼病平癒・病気平癒に御利益があるという、めめ鈴を受けました!

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

【写真】裏には、様々な御利益が書かれていました。

撮影地:東京都中野区新井(新井薬師境内)

私は、父親に緑内障という目の持病があり、この病気は遺伝性もあると言われているので、検査に行かなければ、と思っているのですが、なかなか行けていません。

それよりも、半年前くらいから、ときどきお尻が痛くなって先日、肛門科の医院を受診したら、なんと、痔瘻という病気が判明、緊急性はないものの、入院・手術をしないと治らないそうです。

その前に、大腸カメラ検査をする必要もあり、気がめいってしまいます。

でも、新井薬師の御利益も受けて、一つ一つ、前向きに治療に取り組もうと思っています。