探訪日:令和7年(2025年)12月23日(火曜日)
探訪番号:119
投稿日:2025年12月29日
ブログ分類:気になる建築物めぐりシリーズ #4
インターネットバンキングの発達で、銀行の実店舗は年々減少傾向にあります。
しかし、かつて、とくに戦前は、銀行の本支店の建物といえば、華美で荘厳なものばかりでした。
銀行は、近代経済の中枢を担うという威信と、また、大量の現金を取り扱うことから堅牢性も大事だということで、しっかりした立派な建物が建てられたのです。
明治期には、大都市はもちろん、地方の中小都市にも銀行が設立され、その本支店も立派な建物が建てられました。現在も当時まま存続しているところもあり、「銀行建築」と言えば我が国の近代建築の一ジャンルとなっていて、レトロな建物ファンの中には全国の銀行建築を巡っていらっしゃる方もいるほどです。
私の住む千葉市にも、銀行建築が現存しているものがありますので、見学に行ってきました!
【写真】千葉駅から歩いて15分のところに、昭和初期に建てられた銀行建築がありました。

と、上の写真をご覧になって「なんだ、新しい建物じゃないか!昭和初期の千葉にこんな高い建物はないだろ!」と思われた方も多いと思います。
そうなんです、写真の建物は平成7年(1995年)に完成した千葉市美術館の建物なんです。で、昭和初期の銀行建築はというと、なんと、千葉市美術館の中に入ってしまっているんです。
千葉市美術館がある場所は、もともとは、明治時代に創立した川崎銀行の千葉支店があった場所です。戦前の銀行建築に多く見られる、ネオ・ルネッサンス様式の建物で、建築家・矢部又吉の設計により、1927年(昭和2年)に建てられたものでした。
川崎銀行はその後三菱銀行(今の三菱UFJ銀行)に吸収され、1971年(昭和46年)まで三菱銀行千葉支店として使用され、その後千葉市が取得し、中央地区市民センターとして、1990年まで使用されました。
その後、建物を取り壊して新しい美術館を建てる計画が持ち上がりますが、市民が署名活動をするなどして建物の保存を求めました。それに対して千葉市は建物を壊すのではなく、「鞘堂(さやどう)方式」で新しい美術館を建てることを決定しました。
「鞘堂方式」とは、建物を保護するために外側にさらに大きな建物を建てて覆ってしまう方法です。まず、江戸時代から続く伝統の技法である曳家(ひきや)工法で敷地の内側に旧・川崎銀行の建物を少し移動させ、その外側に新しい美術館を建てる、という方式で建てられたのです。
【写真】古い建物を覆う形で、新しい建物が建てられている様子がわかります。古い建物が新しい建物にめり込んでいる感じですよね。

【写真】古い建物の周囲を取り囲むように、新しい建物の大きな柱が建っていました。

【写真】旧銀行の正面入り口です。

【写真】入り口の上に温泉マーク?これは、川崎銀行の行章でした。

【写真】柱頭は、ギリシア建築に多く見られる渦巻き型のイオニア式です。

【写真】中の様子です。私は建物の中に建物があるのが、すごい好きなんです。

【写真】古い建物の内部は、鞘堂方式で建てられたことから「さや堂ホール」と名付けられ、コンサートなどができるようになっています。イベントが行われていなければ、自由に入ることができます。

【写真】元銀行らしい、重厚なドアです。

【写真】ライオンが取手を咥えている意匠です。

【写真】円柱と、上部に渦巻き状の装飾が施されたイオニア式のオーダー(柱の並び)で、本格的なネオ・ルネッサンス様式だそうです。柱の下部には大理石が使われ、床は竣工当時のドイツ製のモザイクタイルが使われているそうです。2階に回廊式の廊下があり、手すりや照明は、竣工当時の写真を元に復元されたものだそうです。





【写真】重厚なドアの向こうに、千葉市美術館の受付がありました。

【写真】正面入り口の内側です。昔の外国の映画に出てくる銀行の入り口みたいです。

戦前、日本各地に建てられた銀行建築も多くが取り壊されています。時代の流れを考えれば仕方がないことですが、こうした鞘堂方式で保存していくのも、もしかしたらひとつの手なのかもな〜、と感じました(建物の外観の全景が見られないのは少し残念ですが…)。