現地に行っていろいろなものを見てくるフィールドワーク系ブログ

日本橋を渡りました!

探訪日:2023年(令和5年)6月4日(日曜日)

探訪番号:16

投稿日:2023年6月18日

ブログ分類:橋を渡るシリーズ #1

私は橋が好きです。各地のいろいろな橋を渡って、ブログの記事にしていこうと思います。

シリーズの1回目は、東京の日本橋です。

なぜ、最初に渡る橋を日本橋にしたのかと言うと、かつて、日本のすべての道は日本橋から始まっていて、シリーズのスタートにふさわしいと思ったからなんです。

日本の道路の起点

ところで、なんで日本橋が日本の道路の起点だったのでしょうか?

初代の日本橋は、江戸幕府が開かれた1603年(慶長8年)に完成。そして、翌年幕府によって制定された五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の起点として、日本橋が選ばれたのです。

木造の日本橋はその後火事で焼けるなどして何度も架け替えられ、現在の橋は20代目として1911年(明治44年)に完成。百年以上の歴史があって、国の重要文化財に指定されています。

【写真】日本橋の全景です。上にかかるのは首都高速道路。高度成長期の1963年に、突貫工事で作られました。道路を通す土地がないので、日本橋川の上に高架を沿わせるという、なかなかすごい発想ですよね〜。

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】有名な麒麟の像も、高速道路に挟まれてちょっと窮屈そう。

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】景観を損ねると評判のよくない首都高の高架ですが、橋の上から見上げてみると、なかなか壮観でカッコいいフォルムです。

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】モダンなルネサンス様式の石造二連アーチ橋がステキですね。

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】四隅の親柱には、獅子の像があって、通行人を見守ってくれています。また、親柱の「日本橋」と書かれたプレートは、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が揮毫(きごう=毛筆で字を書くこと)したものだそうです。完成時、江戸の面影を残せるようにと、当時の東京市長・尾崎行雄が依頼したそうです。

撮影地:東京都中央区日本橋

将来的に高速道路の高架は撤去されます

日本橋周辺では、国家戦略特区の都市再生プロジェクトとして、官・民一体となってまちづくりを進めているそうです。

首都高を地下化してかつての日本橋の景観を取り戻そう、という構想は以前からあったものの、莫大な建設費がネックとなり、なかなか進展しませんでした。

しかし首都高も完成して60年が経ち老朽化してきていて、将来的な安全性を確保するという観点からも、ついに2019年に神田橋JCTから江戸橋JCTの間を地下化することが決定されました。

地下化が完成するのは2035年の予定で、その後5年をかけて高架を撤去するとの計画です。青空の下の日本橋が望めるのは、私はもし生きていれば67歳。先は長いですが、今からちょっと楽しみです。

【写真】日本橋は江戸時代からの伝統で、現在も様々な道路の起点となっていて、橋の中央には「日本国道路元標」というプレートも埋め込まれているんです。車が来ないタイミングを見計らって写真を取ろうと思ったのですが、工事用フェンスがあって車道に出にくくなっていました。

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】何の工事かな?と思って看板を見ると、「首都高地下化事業に伴う地下鉄近接対策のための立坑の構築を行っています」と書いてありました!

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】ということで、昨年の4月に撮っていたものを掲載します。

撮影地:東京都中央区日本橋
撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】日本橋は1999年に国の重要文化財に指定されましたが、同時に「東京市道路元標」も指定されました。これは、かつて橋の中央に都電(路面電車)が通っていて、その架線を支えるポールも兼ねていました。現在は橋詰広場に移設されています。

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】橋詰広場には、全国各都市までの距離が書かれた石碑もありました。私が現在住む千葉市も、私の出身地の新潟市もあって、嬉しかったです(#^.^#)

撮影地:東京都中央区日本橋

【写真】西日本バージョンもありました。鹿児島市は1469キロメートルも離れてるんですね。でも、道路でつながってると思うと、ロマンを感じました。

撮影地:東京都中央区日本橋